みなさまへ☆彡

 

お元気でおすごしでいらっしゃいますか。

facebookではすでにお伝えしましたが、音楽ライブやお話しの講演の他、自分にできるお仕事のひとつとして

「1対1の対面カウンセリング・セッション」をはじめました。

 

とはいえ

 

むずかしいことはなんにも考えてなくて

 

資格は民間で取ったもので国家資格ではないから

「資格があるのではじめました」でもなくて。

 

わたし、講演で自分が話すのとおなじくらい

人からお話を「聴く」ことがたぶん 好きで向いてる と

自分の肚が信じられるのではじめました。

 

もう、魂の域で、

「どのみちをどう通っても、いずれ、はじめる」

ということは なんだかすごく若い10代のときから

 

別に正義の人となって救おうとか助けてあげたいなんてきもちは

さらさらないのに

 

「何かを聞いてほしい人(たとえば、10代のころなら、

自分の向いている仕事、進路の悩みとか。恋愛の悩みとか)」

が わたしのまわりに集まってきちゃう

 

ということが 「なんだかそういう星のもと」という表現でしか表せないくらい 人生の折々 よくあって

 

ごく近しい 障害を持つお友達幾人かの範囲では

かなりディープな悩み相談の聞き役を 友人の範囲 として

やっていました。

 

でもその内容は

たとえばですが

・夫に殴られた

・介護事業所で「ある日突然」介助派遣を切られた

・介助を介して親に支配されて辛い

・リストカットがやめられない

・病気や障害がある、障害の認定を受けるほどではないけど、体質的に体力がないことで、自分への無価値観がとにかくすごい

 

とか

「なんか女子会とかお友達同士の楽しいおしゃべり♪」の範疇をけっこう大きくぶっちぎっているソーディープなことが多くて

 

それらはわたしにとって体験があるものもないものもあるけど

「あ。でもわたし、この部分の気持ちはわかるなあ」とか

たとえば

・介護を介して親に支配されやすい とか

・身体的な引け目や、仕事ができないことによる無価値観

・強く言われると人に従っちゃう

とか

「このあたりなら、自分が体験してきたことだから、手に取るように気持ちがわかるなあ」

とか

 

わたしにとってその友人たちは だれであっても

「ある日突然自殺しちゃったとかなったら

それはわたしがいやなことだし

自分にとって大切な友達だから

いてほしいもんな」

 

という 損得ではない 友人としての愛 だけで

人によっては 10年以上 無償 全身全霊の 全出し で

話を聴いた友人もいます。

 

でね!それは友達だから別になんでもいいのですが

 

その友人たちが ほぼ全員言った言葉が

「精神科のお医者さんは、お話を聴いてくれる時間は

5分くらい、長くても15分程度。

その中ではうまく話せないところもあるし、

いい子ちゃんになる癖が抜けなくて

『大丈夫です、最近は元気です(^^)』と

言ってしまうこともある。

でも、だっこちゃんには、話せる。」

ということです。

 

、、、 、、、もちろん、精神科のお医者さんへの通院で、心のバランスが取れる人や、調子の悪さの度合いが重くて、ほんとうにお薬が必要な人もいるから

「じゃあお医者さん意味ないじゃん?!」

とまでは思わないけど

 

何かを悩んだり 自分への無価値観や自身のなさに

長期間苛まれる人に薬より必要なことは

 

その気持ちを

話せる相手

 

じゃないかなと 思うんですよ。

 

だって 当たり前のことじゃん?

 

苦しかったり辛かったり悲しかったりしたら

はい じゃ、薬出します、薬増やします

はい 感情感じなくしまーす

はい 3分診療

終わり!

 

、、、って なんか 

そんなの

もっと苦しくなるにきまってるじゃん?!

 

だって

「感情を感じなくする薬」を飲んでも(強迫性の症状を安定させる、不眠を和らげる、とか、大事なものはもちろんあるだろうけど)

でも

自分の心の奥の奥の奥の 本人体験とか

「あのときは悲しかった」

「あのときは辛かった」

「ほんとうは、こう言いたかった、話したかったけど言えなかった」

 

とか 本人の感情が

消えてなくなることなんて、ないから。

 

だからね

「話したかった」

「話したい」

の練習を

「この人に話したら、だれかほかの人にしゃべっちゃうかもしれない」

とか そういう不安なしで

「話せる場」

って 絶対に必要だし

わたしがその「場」になろう っていうことは

 

10年以上 友人を練習台にさせていただ、、、、

もとい!

友人に良い練習と本番の機をいただいていたので

 

振り向いたら

 

できてたし

やってたのです。

 

それで

元々が 心や魂や

「闇からひかりへ行く生き方」

について考えることがものすごく好きで

 

わたしも私自身の心と体が

地獄からひかりへ出た体験があるし

ほんと 九死に一生!

みたいな感じで

それこそ 介護事業所が突然つぶれちゃうとか

もう比喩じゃなく物理的に命があぶないじゃん っていう危機から

寸でのところで

必ず だれか 人の縁のめぐりあわせで助けてくれる人が現れて

地域生活が守られたりとか

 

私自身が生きてきた体験と

自分でも理屈では説明のつかない人の縁 みたいなところで

人様から助けられてきた経験が両方あるから

 

これは 友人2,3人 という範囲を越えて

必要としてくれる人がいたら

、、、もしも自分がそうされたらやだからね

「助けてあげる」とか「救ってあげる」とか

「わたしがアドバイスしてあげる」とか 

そういう 講師マウンティングみたいのは一切なしで

(求められたらなんでも話すけど)

 

来た人が語ってくださることに対して

ただ寄り添う

という気持ちで

「お話し聞きます」

ということを

お仕事のひとつとして やりたくて

はじめました。

 

思うんだけど

「相談」って 「ほんとうは自分がすでに出している答えの確認作業」なんじゃないかなと。

 

だって「その人の人生の正解」は、その人しか持ってないから。

 

でもそれでも (これも人によるけど)

壁としゃべってるよりは 人としゃべっていたほうが

自分の中の答えが より強く明確になる人はいるだろうし

 

「あ。わたし、黙々と一人で考えていたときは、こうだ!

こうに決まってる!

と思っていたけど

いざ、声に出して、思いつくままに話したら

こんなことも 心の底では ほんとは思ってたんだ」

 

とか 

 

いろんな心が いろんな自分が

人と話すと奥から出てくるっていうことは

たぶんだれでも あるんじゃないかと思うんです。

 

ふだん音楽ライブとかでは

ほんとにみんな

どちらかといえば

私の「歌を聴きたい」より

「ご自身、ご自分のことについて、(わたしと)話したい。」

という、何か、内容を、心に抱えて

来てくださるかたも多いように思う、

これは自覚があるので

 

「だっこさんと本当に話したい」

という人や

 

「ただ会いたい」

でも歓迎だけど(^▽^)

 

「なにか聞いてほしいことがあって

だっこさんになら言えるかな」

 

と思う人がもしもいたら

ピンときたら

わたしを使ってくださればうれしいなと思います☆彡

 

こういうのは、魂と魂 みたいな話しで ご縁だから

お仕事ではじめましたとは言っても

お金のため稼ぐために 営業営業!

というのも違うし

魂がそちらにひっぱられて向かうほうにいってる

と思うようなお仕事は

それ(無理にでも拡げるようなこと)はできないようにできてる、と

思うから

 

「息を吸ってはく」

「深呼吸をする」

ようなきもちやタイミングで

 

「あ。わたしが気になる人、会う人はだっこさんだ。」

と思うかたに

会えたら

わたしもうれしいです。

それって、ぜったい、両想いだからね(・v・)

 

でね、はじめましたが おとといからはじめたからね(^▽^)

「遠方のかたはスカイプで」

ってfacebookに書いておきながら

それすら

「あ。どこスイッチでしたっけ?(・v・)」

というレベルの試行錯誤

 

はい 何分いくらです っていうのも

ぜんぜんまだ決めてなくって(^▽^)

 

なので、60分から90分の範囲 という時間で

交換セッションのモニターさんを今募集しています。

(交換セッションとは、料金は、お金をお支払いいただいても、お金は無料で、セッション受けてどうだったよ、とブログに書いていただくなど

「わたしはわたしの時間を90分全部お客様に差し出すので

なにかひとつ、お客様のできることをわたしに提供してください、

というエネルギー交換のかたちです。)

 

お一人目は北海道のchittaさん。(・v・)

「セッションやりまーす!」と

勇気を出して はじめたことで

北海道とさいたま市とで

ほんと はじめなければご縁がつながることのなかった

すてきなかたと出会えて

わたしも幸せです(^^)


 

あしたは、お二人目のモニター希望者のかたが我が家にきてくださることに。

「わたしも話したい!」

というかた、メールにてお問い合わせください(^^)

 

そんなに根を詰めてぎゅうぎゅうに何かをやっているわけじゃないのだけれど(体力的に、ぎゅうぎゅう!は本当にできないし)

「あ!今これやりたい。やる!」

に従っていると

なぜかなんだか飛ぶように一週間が過ぎていってしまいます。

 

また書くね。

 

いつもありがとう。