お茶の間の
パソ子の前のみなさま
お元気でおすごしでいらっしゃいますか。
2017年 あけましておめでとうございます。
本年も
すみからすみまで
ずずずいーと よろしく おんねがいたてまつりましてございまする。d(・v・)b
今年も
遊ぼう。
年末年始は、実家でのんびり。寝正月。
なんにもしない。
だれにも連絡しないし。お友達、お仕事関連、ゆめコン関連、あえて、だれにも会わない。
テレビっ子。
あーわたし、趣味は寝ることだわ。
ってかんじだった。
超楽しかった、何もしないのが。
たぶん、やりたいことやったからだと思う。
2016年が。
何かしなきゃ、、、何かしなきゃ、、、
の罪悪感が、今年はほんとになかった。
1年前の今日って熱出して病院行っててね。
たん詰まって死にそーとか言っててね。
もうね、元気ならなんでもいいよー。
風邪引いてなきゃはなまるだよー。
別にひいててもはなまるだけど⭐︎
と、、、たぶん去年の秋冬の体調が近年のどん底で。
生きてるだけでありがたいからね?
っていうのが 思い出せて
腑に落ちたんだと思う。なんだかすべてがありがたいお正月でした。
わたしは22歳のときうち出て。
もう15年、介助さんのサポートのもと、
親元から離れて暮らしているんだけどね。
実家にいた当時には、
特に母とは、
母にとっても、わたしから離れられなかった、
放り出すわけにもいかなかった、365日べったりになるほか(昔は公的なヘルパー制度がなかっかたら)逃げ道がなかった家族介助を通して、
母がわたしの着る服や容姿や行動をすべて自分の思い通りに支配したいと思ってしまう
「共依存状態」だったから、
出るときには、1分1秒早く出たかった実家も
居を分けて
介助はすべて、介助さんと作ってゆく生活になって
私は私
母は母
で
個々、自分の、趣味ができたり
友達ができたり
「自分の世界」ができて
それぞれの人生を楽しめるようになってから
ふたたび 家族になり直せたような感じで。
お正月実家に帰れることも
ありがたいことだなあー
と いつにも増して感じた年末年始でした。
そしてそんなことを 思っていたら
先日ブログでご紹介した齋藤麻生ちゃんが
「家族がいるうちに
精一杯甘えよう」
ということばを丁寧に感じながら書いていて
なんだかじーん、、、としたり。
もうさ、30代なんてなったら
というかわたしなんて40代見えてきてるし
わが実家の場合は
各位距離を 近くに詰めすぎると
合わなくなってしまうこともあるのですけど
それにしても
「両親が生きてるだけでありがたい」
って思ったり。
なんかもう、両親揃って家族が集まれるのが当たり前っていう年齢じゃなくなってきたんだよなあって、すごく、
この毎年の光景も、実はめっちゃ「貴重なこと」なんだよなー、、、って
のりもちをたべながらかんじたりしてきました。
障害を持っていると、親に甘えるな、親から自立しろ、って言われまくることがあるけど(特別支援学校とかリハビリとかで)
人様が何を言っても言わなくても
結局、家族が家族としてだれも欠けないで集まれることって、けっこう実は奇跡だからね?って
青春時代からたった10年もすれば自動的にわかるんだから
甘えたい人は精一杯甘えるのも親孝行なんじゃない?
、、、と、60代や70代の両親と過ごして、ほんとうに思うようになりました。
あとはねえ、
どの生き方が正解とか、
どっちが正解とかはないけど、
家を出て、家の中以外の世界、
親以外の世界を知れて、わたしは本当に良かった。
自分の世界が広がれば広がるほど、
「いつでも帰ってきていい場所」の大事さもわかる。比例してる。
もし、実家の家族しか、自分の大切な人がいなかったら、
失った時、気が狂って生きる気力がなくなっちゃうかもしれないもん。
でも、なんとか、友達とか、男女としてのパートナーとか、好きなことを共有する仲間とか、いろんな、自分自身が縁をつないでいった大切な人がいれば、生きるほうに気が向くんじゃないかと、、、そこは、自分を信じたいなと思っています。
これからも、生きてみて、生きながらすべて知っていくことだけど。
わたしは、わたしの魂として何しにこの世に生を受けてきたのかな??と。
そんなことを考えながら、これからも、生きる苦しみより生きる喜びのほうへ。魂が喜ぶほうへ。
ひたすらに行きたいなと思っています。
いまね、3つのライブの準備を同時にしていますが、1月8日のこちら↓↓から、今年はスタート!
ひとつひとつ、丁寧に楽しく作ります。
また書くね!!
本年も、朝霧裕の活動を、、、
っていうよりも
この今
この日々を
一緒に楽しむすてきな仲間でありましょう。
どうぞよろしくお願い申し上げます。