みなさまこんばんわ☆彡


そして、たくさんの方にこのブログをお読みいただき、ありがとうございます!!

、、、嬉しくってブログのかっこよさをもうちょっとなんとかしようとHTMLを自分でいじっていたら、

自分の本紹介のブログパーツと読者の皆様のリンク集が驚くべき下のほうの位置に表示されるようになってしまい戻りません!!(汗

バナー作りとか任せとけな方がいらっしゃったらここから募集&お声掛けするかもです。(リンクを直さなくちゃと、いろんな、ブログの神々のデザインを見ていたら本当に美しくていよいよここもハイセンスにしたくなってきました)


さて、タイトルにありますように!!


カリスマブロガー&エッセイスト(子宮の人?!アーティスト!)子宮委員長はるちゃんのブログご紹介、ダブルアンコール(^▽^)


実はね、なんでわたし、はるちゃん♪ はるちゃん♪♪ って 言っているかというとね、


はるちゃん、「社会に合わせた言い方(呼び方?カテゴライズ?あー、窮屈なことだよね、カテゴライズって)」であえて言えば、ストレスによる脳の機能障害を体験した当事者でもあるんです。


エッセイを読んで、そのことにも触れていて、びっっっくりしたの☆彡


絵もすてき、キャッチ―に輝いているけれど実は凄絶なサバイバー、「だからこそ!」の強さとやわらかさを持つ女性としても超すてき。


「絵も描けて文章も書けて香水のプロデュースとかお話のセミナーとか子育てとかも!、とにかくこんなにたくさんのことができる人が、脳に障害がある当事者なの?!」 と。


「障害」って、「治らなきゃいけない」もの?

「人と違う」って、「悪い」こと?

「歩けない」って、「悪い」の?


わたしがずっと、「障害」や「病気」という言葉に対して、強い違和感をもっていたこと。

その同じ違和感を、きっと、このかたは持ちながら生きてる。


これは、はるちゃんのエッセイを読んだときの確信だった。


何より、旧来の<自立>という言葉への、しなかやかな提言。


『なんだって、一人でできたら、一人前??』


私も何度も何度も書いてきたことだけど、


以下はね、はるちゃんのことばだよ。


『頼んだり頼れたら100人前。』


それからね、これは、わたしの3冊目のエッセイ<車いすの歌姫>の帯にしたことばだよ(・v・)


『ひとりでは生きられないのは、わたしの誇り。』


、、、頼んだり頼れたら100人前。(←はるちゃん、金言!(>v<))


これからは、それが自立なんだ。


それをね、わたしは、一番に感じたのは、池袋駅で東日本大震災に遭って、駅構内のエレベーターが全停止した、あの日、あの時だった。


非常階段を、電動車いすをおみこしみたいに、よいしょ、よいしょ、と、一段一段、余震も危なかった中を(よくほんと、駅員さんたちが、階段の途中に足が滑らなかったと思う(;v;))6人がかりで抱えてくださり、近くの公園へ避難したの。階段ね、何十段!!だったよ。 いざのとき、一人では動けないのが、私の現実。でも、大災害時になったら、歩ける人だって、同じだよね? だって「それまでの経験」なんて、ゼロ、っていうことの、当事者になるんだもの。


公園へ避難したそのあとも、なんとかさいたま市のアパートまで介助さんと二人、帰ろうとしたんだけど、赤羽駅までぎゅうぎゅうスシ詰めでバスで来て、そのあとは、帰宅難民になっちゃって。

幸いにも、駅のそばのホテルがまだ空いていて入れてくださったんだけど、あの日の、たった一日だけで、 駅員さん、バスの運転手さん、道行く方々、、。3階の部屋までやっぱり階段を、すべて上げてくださったホテルのスタッフさん幾人の方々に、車いすごと階段を上げていただいたり、お姫様だっこで運んでいただいたり、段差という段差、どれほどお世話になったろうと思う。


人に頼れることこそが自立。 これからは、時代もどんどんそうなっていくし、そうなると、これまで「障害」と定義されてきたことも、捉えられ方がもっと肯定的に変わっていくんじゃないかな


子宮委員長はるちゃんのBlog記事、ぜひ、読んでください☆彡

「一人前」や「自立」の勘違いと呪縛と定義。

http://ameblo.jp/jj-haru/entry-12126296137.htm


一見共通項がなさそうで、お互いの人生の接点がなさそうなのに、なぜだか、話したり、ものを書いたりしたときに、凄く深いところで

「この人の言葉、こんなになんだか、自分のことのようには、わからないはずなのに、わかるっ!!」と思えて、魅かれてしまう人って、いる。


わたしにとって、その一人が、言葉を紡いで、今まで人が、違和感を持っていたけど言いにくかったり、

光をもっと当てたかったけど当たりにくかったとあきらめてきたり、見ないふりをしてきたところに(ときにキラキラとときにギラギラと)光をあてまくるメッセンジャーとしてのはるちゃんで、


「健常者」と「障害者」のまんなか

「善」と「悪」のまんなか

「光」と「闇」のまんなか

よくそんなすごい線の上のさらに点の上のところに立って居られるなあって、思う。


そういうふうに、尊敬をしているおかたです(・v・)


ブログにね、「わたしが朝霧裕さんでも、同じように生きたと思います。」と書いていただいて、、、、(;v;)泣いてしまいました。

生きてきてよかった、、、って思った。


こういうふうに、身体を越えて、想いというか、生きるぞ!という執念というか、、、、なんだろう、個々の ただの ひとりの 人間 が持っている、想いのところが、伝わるんだって、また思えて、 ほんとにわたしは、生きてきてよかった。


はるちゃんにも、そしてブログや本を読んでくださったり、ライブに来て下さったり触れ合えるすべてすべての方にも、「たった一回」しかない今生で、出会えたことが、ことばを交わせることが、愛おしくて 愛おしくて しょうがないです。ほんとうに。会える人が、もうぜんぶ 愛おしいです。(;v;)


それは、自分の、身体や心を、(「引け目に思う」ようなところからはじまって)今、とても、好きだと、思えているからだと思います。