突然ですが、
「待てば海路の日和あり」
っていうことば、知ってる???
わたしの座右の銘なんです☆
きのうの記事↓↓
「LESSON11こうあるべきだ」は一番キライ☆彡 」
で、私が通ってたころの養護学校(現・特別支援学校)は、
「障害に甘えるな!!」(←「甘えてねーよ」って当時内心思ってたけど、ゴメンナサイ🙇♥♥♥)
「人様に迷惑をかけないように生きるべき。簡単に人に頼るな!!」
「自分一人で何でもできるのがいいこと」
っていうリハビリ至上主義がまだまだあって、「人に頼らず、一人で何でもできるのが、できないよりもいいこと」っていうのは、健常者に当てはめたって、すごい間違いだと思う、と書いてから、
なんとなく10代の頃の生活環境や養護学校の中のことを思い出してました。
それで、人と日々の場面や気持ちを共有して分かち合ってこそ、恋が生まれたり、友達ができたり、ひいては、共感や愛、、、「相手の気持ちを想像したり、心を寄せて考えること」がはじめて生まれるのであって、この「自力至上主義はホントに間違いだと思うよ?」というのを、わたしは講演でもよく話すしエッセイでも繰り返し(ほんとごめんね、しつこいくらい)書いているから、その印象で、
「だっこさんって、養護学校より普通の学校のほうがいいっていう考えをお持ちなんですか」と
たまに聞かれるんだけど、わたし、そうに言ったことは一回もないし、思ってもない。
大事なことは、「自分にとってはどんな学校がいいかを、選べること」だからね。
養護学校は、なんのかんのめちゃくちゃ楽しかったです、わたしには。(^▽^)
何よりは友達が本当に大好きだったし、先生だっていっぱいいるんだから、もちろん人生にすごく良いパワーを沢山与えてくださった、恩師と思っている方々だって、複数人いるよ。
でも、とにかく、まだ介助制度が無くて、介助さんが誰も一人もいなくて、まだ家を出る前で、中2くらいから高3くらいまでが、人生で一番、障害が目に見えるスピードで進んでいって、今までは動けていた手足が動かなくなって、今まではできていたことまでが、どんどん一人でできなくなるし、
本当に本当に物理的に動けなかったストレスが、圧倒的で、その加圧の重石の下にいる世界に身を置いてものを見ていても、
「ここから出たい ここから出たい ここから出たい」
というふうにしか、思わなくて。
本当は 素敵なことも素晴らしいことも、思い出せば、数えきれないほどたくさんあったんだけど、
当時はさ
「違う世界に行かなくちゃ」としか思っていなかった。
だって 夢も希望もすべてすべてが今からこれからだってときに、
「あなたほど重い障害がある人は福祉施設にしか暮らせないと思う。」って、いきなり人から決めつけられたら、だれだってそう思うよ?
あたしは世界を選びたい、って思うよ?
だからね、当時のわたしは
「今いるここ」は、<とにかく身体的に動けなかった世界>だったから、振り返れば、私が家にいた期間、両親が健在でいてくれただけだって、ものすごく贅沢な環境だったのに、
「早く 早く 早く 早く 違う世界に行かなくちゃ。私が私を生きられる世界に行かなくちゃ。」と
思ってたから 恐ろしく窮屈で絶望的で、逃れたい世界で
「どこか、この先」は 動ける 拓けた世界だった。
不自由が今で
自由が先にあるんだ
と 思ってた。
自分にとってのストレスフルな世界に身を置いてものを見ると、
家族とか 養護学校とか 進路に対しての身の処し方 とか 障害を持つ人への行政の対応 ひいては社会の対応 とかが もう ぜんぶ 不満で 嫌で 自分が嫌だと感じるところばっかりが目について 気になって 世界は絶望で敵だらけで、わたしはそれをなんとか打破して次に行くんだ と思ってた。
だから もし 振り返れるような心にゆとりが少しできてきたような機が来ても
振り返ることすらしないんじゃないか と 思ってた。
でも、10代が終わって学校が全部終わって、家を出て、介助さんと暮らして、
「私の意思で、私が動ける!!!」
「私が、家の中から、外に出たいとき、出られる!!!」
「私が、この人に会いたいと思った時、会いに行ける!!!」
「不自由から、自由になった!!!」
っていう喜びを、全身全霊で味わえたとき。そして、それが、急に誰かに取り上げられたりしないで、
介助の制度が、ものすごく使いにくいひどいものになりそうになったり、「危ういとき」は何度もあったけど、
10年以上継続できたとき。
不満で不服で敵だらけで絶望でひどくて差別だらけでキライでキライで 打ち勝ちたくてしょうがない と
思っていた わたしの身を置く世界は、
生まれてきたことがうれしくて生きていることがうれしくて、自分が何かをやってみるのも、人に会うのも、どこかへ行くのも、何かを見るのも、うれしくて、愛しくて、大好きで大好きで大好きでたまらない世界になった。
いろんな時期があったけど、ついうっかりすべての辛かった時期にすら感謝しちゃうくらいよね。
あんなに出たかった家、家族介助の辛さを介して歪んでいたために、感謝できなかった母にも。
10代や家を出るまでの全ての経験、全ての環境にも。
それから、すべての日を生き延びた自分にも。
ステキに支えてくれたすべての介助さんにも。
こんな日がくるなんてさ。
死ななくてよかったと思う。
この魂の喜びを知っているから、知らないままで、人を恨んで、自分の身体や出生の環境を枷と思って、
「もっと違う身体にさえ生まれたら」
「もっと違う親にさえ生まれたら」
「もっとお金があったら」
とかさ 思いながら 恨み悲しみ苦しみの中で死んでいく人がいるのは 悲しいことだ その人数を減らすための 生きることの 苦楽を越えた上での 本当の生きることの喜びってあるよ?っていう体現を 伝える人でありたい。
でも伝えるだけで
本当には物理的に動けなくなるとか 何がしか九死に一生!!みたいな体験をするとか
何かをきっかけにして 自分が体験することでしか 当事者になることでしか 誰にも分らない。
私の気持ちは私しか。
あなたの気持ちはあなたしか。
でも体験や経験を言葉にして話すとね、誰かには届くんだよ。
なにごとにも「共感しうる似た体験」を持つ人はいて、誰かの励みや何がしかのヒントにはなるんだよ。
かといって、誰かのために!!!、と思って、これを書いてるかって言うと私は違って、自分が楽しいから書きたいから書いてるだけなんだけどね。
で、冒頭の座右の銘は、高校の時、凄く綺麗で凄く大好きだった国語の先生に教わったの。
船がどこかを目指して港を出向するときに、今日はまだ風が強いとか、夜から雨になりそうとか、
嵐がきていますとか、天候不良が「今」であっても、
何事も船出の「機」はあって、荒波の時や嵐の時にはパワーを溜めて、機を待って、待てば必ず、
出港に最良の日があるんだって。
何事にも、「機」があるんだってこと。
最良の好機が必ずあるんだってこと。
それを信じる、気持ちの強さのこと。
今にして、大好きな言葉です。
いつかこれをこうして書けるような日、、、
今日のような日が、来るといいなって、20年くらい待ってた。
人間は、自分自身がこうなりたいって、信じたような人に、なるよ。
あそこに行きたいって、願ったとこに、行くよ。
そうなるように しかできていないと思う。