みなさま★

おげんきでいらっしゃいますか?(・v・)

16日は、こんな講演に行ってきました↓↓。


障害者虐待防止・権利擁護者研修 

「だれがだれを殺したの?-障害を語るより前にあることー」

ウエスタ川越 大ホール 900名!!!


過去に、介助者と自分、1対1の在宅生活の中で、介助者から徹底的な心理的虐待を受けたことのあるわたし。うつにもなって、人工呼吸器ユーザーにもなって、

なんと問題が解決したとたんに、息苦しさがマジですべて治り、

「その息苦しさや不眠はすべて、心理的虐待のあった渦中に、精神的なストレスからきていた」と筋疾患専門医のお医者さんが最後、太鼓判を押すという、とんでもない貴重な体験を過去に持ってます。


(当時、家の、自分の部屋の中で、当時の介助者から、

「生活保護や障害年金を受けている人が、福祉施設じゃなくてアパートに住むなんて贅沢じゃない?」とか、音楽と執筆から世に出る突破口を作ろうと、当時から、ずっと私は歌ったり、本を出版したりしていたのだけど、ある日、ライブの仲間と居酒屋さんで打ち上げでごはんを食べたら

「生活保護なのに外でごはん食べていいの?」と言われたり、

「他の介助さんはみんな本当は思ってても言えないと思うけど、あなたは体が臭いんだよね」とか言われたり、洋服捨てられたり、巧妙~~に、お金取られたり、

まあいろいろありました。

最終的に、エスカレートした結果、命の危険を感じることがあって、警察に届けました。もちろん、行政機関にも届け出たけど、もう、「とにかく、まず警察!!」って感じでした。)


そのときから、心と身体って、絶対につながってるし、元気な人が、どんどん元気じゃなくなって、

健康を害されて、「調子が出ない、調子が出ない、不眠、吐き気、不安、イライラ、動けない・・・ ・・・自分も他人もすべてが信じられない、、、、」

と、なっていく過程って、ぜったいね、いる場所が原因なんだよ、元凶を絶てば、必ず治るんだよ、と、

信じています。


で、当時から、身体的に動けないとか、言葉が発せられないとか、動作が人より早くできないとか、絶対的に、圧倒的に、健常者と比べたら、できないことがある相手を、逃げられない状況で、いじめるのって、一番卑怯で、ダサイ、そうでない、人々とともに生きたい、と、思ってきて、

「障害者虐待防止に絶対に携わりたい!」と、一心に念じ続けてきたら、引き寄せたわけです。


実際のお客様は530名だったのだけど、埼玉県庁、行政、介助に携わる現場の方々、障害を持つ当事者のお父さんやお母さん、マスコミの方々。


俺たちは、ダサくないぜ、という方々が、530名一処に終結した中でお話しさせていただき、とっても、

、、、、気持ちがよかったです!!!!!!


でもね!!電動車いすユーザーの障害当事者は、会場に人が530名居て、私、ただ一人。

500人いたら200人くらい障害当事者でもいいと思わない?!


そういうふうに、時代が進歩すればいいなあと思っています。


わたしは今、たまにはね、生活保護受給者のくせに表に出てくんなとか死ねとか匿名で言われますけど、

(でも言ってくださる方がいるから味方も増えるし、「なんで、この人からこういう言葉が出てくるんだろう、言葉の裏に何があるんだろう?」と、興味が湧いてきちゃうタチだから知らない人にちょっとくらい通りすがりに何か言われるくらいはいいんですけど)


でも、とにかく、私生活の中で、ガチな暮らしの場の中で福祉施設の職員さんとか、作業所の職員さんとか、在宅介助の介助さんとかが、「バカ」とか「死ね」とか言い始めるとか、脅すとか殴るとかお金を取っちゃうとか、そういうのは 犯罪ですよ?!


っていうか いじめ って 犯罪ですよ?!


と いうことを 伝えつつ 「今」の自分は、凄い幸せに生きているんです。


だから過去を切々と呪っているかというとそれも違って。


むしろ当時があったから今があって、「わたしは本当はどんな世界に身をおいてどう生きたいか」っていうことが、辛い期間に、自分でも凄い!って思っちゃうくらい、はっっっっきりしたし、(どうなってどうなってどうなりたい、というのが絵で見えるから仔細に語れるくらい!!)

だから、過去は過去で別にいいんですけど(だって「今」じゃないから)


ただ、人って、絶対的に根源的に、より自由で、よりのびやかで、自分を押さえつけず、何もひとつも我慢せず、本音で、思いっきり手足を伸ばして輝ける、

「楽しい!!幸せ!!!!」って思える舞台に行こうとする、魂の本能みたいなものを、生まれた時から、兼ね備えていると思うんだよね。


「死ぬほう」より「生きるほう」へ。

「苦しい」より「幸せ」のほうへ。


行こうとするんだよ。行こうとする同士が引き合って世界を作ってるから、わたしみたいな、ほんとにひとりでトイレも着替えも自力でなんにもできない人間が、生きていきていられて、好きなことを好きなだけできて、まだまだできる、やりたい!!って、自分を信じらて、生きていられるんだよね。


「できないことを叩く」人もいるけど

「できることを分かち合える」人も絶対、いくらでもいる。


生きる世界は選べるの。


でも障害が重ければ重いほど、どんな介助者が自分の生活の中、自分の家の部屋の中に入っていて、

介助体制がどうあるかに、生活の質、果ては人生の質が左右される。

障害者虐待だって、親が子の虐待だって、男が女の虐待だって(っていうかこれ全部逆もあるよね!)

とにかく、「力の強い者が力の弱い者を虐げる構図」というのは、何であれダメなんだけど、

それと別に、障害当事者も、とにかく、

「生きる場所は選べる」

「誰と生きて行きたいかは、選べる」

ということを、知って! と いつも思うの、祈る思い。


「だれとどこで生きて行きたいかを選ぶため」に、命をかけてくれ!!って、思う。


そのために、悪縁とは縁を切ったり、まだ知らない新しい人と繋がったり、

繋がれるのか、ひとりぼっちになるんじゃないか、悪い結果になるんじゃないか、、、、とか、

ぜったいに、心がザワザワするし足もひるむと思うけど、


人の縁も、感性の縁も、物流も、お金(経済)も、結局、全ては、循環。


「ここに行きたい!(ここに生きたい!)」

「あの人みたいになりたい!」

「輝いてる自分になりたい!」

と、「なりたい!」にしか、ならないように人って、一代記でも、進化をし続けていくんだよ。


辛い苦しい状況を、「絶つ」ちからを本当に失ってしまったときに、人はきっと本当に死ぬからね。

そうなる前に、絶対に、幸せになろうね!

、、、「ね!」って、この文章わたし誰に書いてんだ、読んでくださるみんなだよ!(^▽^)


人生は、一回しか、本当に、ないから。

自分の寿命って、自分にもわからなくって。

命がある間しかさ、障害如何にかかわらず、やりたいことできないからね。


人よりできないことがある人、っていうか、そんなもん無い人っていないけど、

「できない」が、深く深くわかっている人(もう圧倒的にわかっている人)ほど、

「これだったらできる!!やりたい!!!!」が、できないことができなかった絶望の返す刀で

マジでわかってるから。

そこへ来たら迷わないしね。

世に出るのも夢が叶うのも早いよ。


辛い思いをしたら、

「私は絶対にこの経験を糧にして世の中に出る人間なんだ」って、思うといいよ。

本当にそうになるから。


人生で一番辛かったとき、「虐待としてこういうことがあった」ということを講演で話したら、

主催のかたのお一人が言ってくださった言葉・・・ ・・・。

「だっこさんを傷つけた人達って、だっこさんに嫉妬したんですよきっと。」

って。


「だっこさんが、どんどん好きなことをやって、輝いていて、

仲間もたくさんいて、世に出る人、世界をひろげていく人だから。

『いいなあ』って、思ったんですよきっと。そういう気持ちって、だれでもあるでしょう?

嫉妬ですよ、嫉妬(^^)」


、、、 、、、なんだか、今まで同じセリフをいろんな人に言われても腑に落ちなかったのに、

なんか今日、すべてが腑に落ちて、、、 、、、。


「ああ、そうかもな」


って。ごく自然に、すんなり、本当に思えました。


「本当に幸せな人」っていうか、「やりたいことをやっている人」って、そもそもが自分に集中しているし、夢が叶うまだ未満で過程であっても、チャレンジをしている状態(「やるぞ!」って決めた状態)の

「自分が幸せ」だから、人様の人生に口を出すっていう引き出しそのものがないんですよね☆


これ、本当に、今年、もう何十万部も本が売れている(本に翼が生えているかのように、出せば飛ぶように売れる)作家さんとか、TEDに出て一躍世界の人になった日本の企業の社長さんとか、色々なかたに、直接にお会いしたり、講演を聞きに行ったり、メールやFBでつながってやりとりさせていただいたりして、

全員に、共通しています。


「自分の心が、自分に集中をしていて、本当に幸せな人」って、人の批判なんかしないよ?

まして、いじめや虐待なんか、次元が違う論外で、思いつきもしない。


それって、「今お金があるから幸せ」とか「今夢が叶った状態だから幸せ」っていうだけじゃなくて、

「自分のやりたいことをやるぞ!」と決めて、自分軸で生きている瞬間から、「自分を生きる」っていうモチベーションが基盤になって、幸せがはじまっているわけ。


だからね、いじめや虐待を受けたり、非難や悪口を言われた経験のあるような人は、

「自分はどこかしら人に嫉妬をされる要素がある。人より抜きん出て世に出る要素があるんだ!」って、

信じるといいよ?


「遠くにいかないでーーーー僕の(わたしの)そばにいてーーーー知らない世界に行かないでー」っていう理由で、「自分から離れそうで不安」で、人を攻撃や否定してくるような人もいるじゃない?!(わたしはいたよ(--))


でもね、0歳と、10歳と、20歳と、30歳と、40歳では、<自分の人生の今欲しいもの>って、ぜんぶ違うよ?

むしろ、同じであってたまるかと思わない?


だって人って、年を取っていく。成長をしていくんだもん。


生きる世界は選べるの。

歩けもしない、わたしでさえも選べるんだから、だれにだってできるよ?


人生のいっときに、どんなにか、こんなはずじゃなかったとか、なんでこんなにガマンしなきゃいけないんだとか、なんでわたしばっかり苦しいんだとか、「幸せじゃない」体験をしても、絶望的な気持ちを味わっても、だから、最高に希望の中にいる自分のイメージが解るんだよ?!

「本当はどうなりたい?」

「1年後どうなりたい?」ということへの、

出るためのバネに、できるんだよ?


何があれ、障害の有無に関わらず、人の魂は、より、何からも抑圧を受けることのない、自分本来の自由を目指すものだ、と、虐待防止に関わるお話をすると、いつも思います。


人生、一回!!!!!!


もっともっと、限界なんかなく果てしなく幸せに、

なりたい自分になろうね!!!!!!!!