みなさんこんにちは(^▽^)

だっこです。

なんだかとっても書きたくなってしまったので、ひみつにしてないないで書くことにします。

ええ、わたし。「引き寄せの法則」系の本が実はものすごくすきです。


人生のバイブルは「原因と結果の法則」著 ジェームス・アレン です。


この本の日本語の美しさ(訳した方が超一流のかただったのでしょう)、魂のしびれる感じ、

なんでしょう、かっこいいし、美しいし。でも頁数の薄い本なんですこれ。

たった、80頁の本。

それが、時を越えて国を越えて直接には会ったことのない読者の人生の杖になることがあるんですね。


身体は魂の船。それが良く分かる本です。


いろいろ、もう、それはもう。

「暑い夏に水を飲む」ように読んだような時代もございました。

身体が欲する。

求めていた、見たかった世界はこれなんだ!!という感じ。


「思考は現実化する」著 ナポレオン・ヒル。

「水は答えを知っている」著 江本 勝。

「ザ・シークレット」著 ロンダ・バーン。

そして

「量子力学の非局所性の実験」(「想い」や「祈り」は、想ったり祈るだけで遠くの人に必ず伝わる)を

量子力学の実験が証明していることをものすごくわかりやすく書いた

「こうして、思考は現実になる」著 パム・グラウト。


日々は「想念」と「共鳴」、そして「それがどこまで拡がるか」の身体を使った実験です。

そう思うと、障害の有無にかかわらず、いきなり、

人生が楽しくて価値あるものに思えてくるんです。


(え?!なぁに?ついにいよいよカルト宗教のお説法?と思わないでね、違います。でも別に宗教観なんてみんな違うからね、「神の名のもとに人を殺してかまわない」みたいな思想じゃなければなんでもわたしは気にしない質です☆超宗教超党派超身体 超言語 いいじゃない みんな地球の市民でしょ?!と

思ってるから。)


で、なんで急にこんな話しをしたかというと!!

自分が出演依頼を受けたある企画で

あわや、「これはもう中止のほうがいいんじゃないか?!」と一瞬だけ思ったものがひとつだけあったんですよ、最近ね。


でも、私がそれで「うーん、、、 、、、」と、ほんと、何分かの間、

頭を抱えた瞬間に、その企画の関係者と私の

「共通の友人知人」が、めぐりあわせの妙としか思えないタイミングで事態を聞いて

「え?!なに?広報できてない?!そんなの俺がやるやる!」

「は?なに?受付いない?私やるやる!手伝える人他にも全然いるし!」

「中止にするよりやっちゃおう、みんなができることをやればいんだからさ」

「だっこさんに会いたくてみんな待ってるんだからさ」

「ぜんぜん心配することないよ!超楽しいじゃん、なんか、むしろ大成功するんじゃないの?」

と、どんどん集まってきて、、、、。


「、、、、中止か?」

がよぎった2日後には、、、 、、、。すべてが。

悩んだ瞬間ごと、なかったかのように、夢のように、まわりの人の力で

ぜんぶ、解決して、「むしろ中止にするより遥かによかった」と言えるんじゃないかという未来図が今もう見える!という展開に(今)なっているのです。


たとえば、たった5年前の私なら… …。

生活の大変さがさらに大変さを引き寄せていた時期。

自分が「わたしは、わたしの人生を生きたい!」と

「わたしのやりたいことはこれだ!!」とカミングアウトでききれていなかったから、

ストレスいっぱいの自分がさらにストレスいっぱいの人々を引き寄せ

どんどん(今から思えば「信じられない」としか言えないくらい)状況が悪くなっていた一番の時期でした。


でもその「すべてすべてが負の連鎖」の時期が、震災前後を節目にすべて清算されたように終わって、

「自分を、生きる!」と決めてから

やっぱり、自分も周りも、本当に変わりました。


たぶん「(人生の)底はここだな」という苦しみを味わい切ったから、

「あと這い上がるしかない」というしかなくなって

同時に「時間は巻き戻せない」ということの真価も知ったんだと思う。


ほんとにほんとに、人生は一回。


それが解って、水を飲むように「引き寄せ」系の本を読みまくる時期から

「自分が好きに生きてみる時期」に今シフトしています。


「楽しい」は「楽しい」を引き寄せる。

これは、「私の中のほんとうのこと」です。

私の中の、ほんとうだから、人に強要するものじゃない。

信じてくれなくてもいいよ?とも思います。

でも、「そんな人生うまくいくわけないじゃん?」

「わたしには、そんな大それた夢なんか叶うわけないじゃん?」と思っている人は、

たぶん、「自分が、損をするよ?」とは、思っています。


私も昔、「そこ」にいたけど、そしていじけてばっかりいたけど、ある日あるとき、

そんな自分の心の中に

「じゃあ、いつまでもそのままそこにいればいいじゃん?!

『自分にはどうせ叶わない』って、思ってりゃいいじゃん?」

と、自分で言葉を投げかけたら

「いやだ、このまま死にたくはない」

と、わたしの<本音>は、たしかに答えました。


そこからね、私のたぶん『本当の旅』は始まっています。

「他人の期待に応える旅」ではない旅。

自分の「こうなりたい、こうありたい」、「これを叶えたい」という<本音>に答える旅。


今もひるむことはあります。

わたし今すごいわがまま言ってるのかなあ。

すごい、人に迷惑かけてるのかなあ?とか。


でもね。そういう気持ちに足を取られそうになったら、

「まわりの人をもっと信頼しなさい?」

と、意識して、自分に言うようにしています。


2、3回、自分なりの地獄を見てから今があります。


でも、すべての過去のできごとがあって。今があって。


「楽しい」は「楽しい」を引き寄せることが、本当に、腑に落ちているから。

一過性のトラブル(?)に「わたしの叶えたいこと、見たい世界」を放棄しません。

むしろ、そう思うと、ほとんどのことは、トラブルですらない(^▽^)

「より良い結果」を生むための小ネタです。

むしろ感謝しちゃう。


迷ったら、心がわくわく、どきどきして、楽しくて、拡がってゆくほうを、取るといいよ?

「この先に、何があるんだろう?」って、想像もつかないような、

好奇心の向くほうを、取るといいよ?


すごくわたしは「目に見えないこと」、「直観」を、大事にしていて、信じている人間です。


なので、「こっそりだれにもいわないで」やり続けようとしていた、目に見えない世界と見える世界の

共鳴の実験。


「自分の体験」から、「今日はこういうすてきなことがあったよ!」ということがあったら、このブログにも書き留めます。


「こういうことを、実は私も(秘密にしてたけど)語りたかった!」というかたがいたら、読んでいただけたらうれしいです。