震災に遭ったとき とにかく命が無事で 介助さんも家族も無事で


友達も怪我もなくって


それだけで


もうわたしは平凡な日常ってつまんないなーなんて


これから先どんな日々で何十歳のおばあちゃんになってライブとかができない日々が来ても


口が裂けても言わないって決めた



入院したとき 点滴を何本も刺して おしっこするのも管を刺して 鼻からもチューブを刺して


それが一本ずつ抜けて


管なしで動けたとき


管なしで動けたらもう それは今ここは天国なんだ って思った


息を止めて1分間いると苦しい


5分なら死んでしまう時間だ


だから呼吸できるだけで


深呼吸は 感謝なんだ


息を吸って吐けることは 感謝なんだ


わたしの感じ得る世界は


いつも目先のことで小さい


いつもほぼなんだってうれしい


朝目が覚めたら感謝


ごはんがおいしくて感謝


行きたい地に出かけられて感謝


あなたさまに出会えまして感謝


生きることのよろこびに触れて


わたしはいつもほぼなんだってうれしい


腕が足がもっと動けばなあ!


せめてトイレだけは自力でもできたらなあ!


人の手ではなく自分で


台所に立って夜ごはんを作れたらなあ!


とかそれはね


思うときもあると言えばあるけど


人の縁もめぐまれている


この人生で結論としてはうれしい


だから心のことで うつとか


動けずいる人のことがはがゆい


人はいつかは足腰が動けなくなるから


動けるうち 体力のあるうちに 踏み切って


すきなことをすきなようにやれるように


辛いときを動けるうち抜けてほしい


動けなくなる前の時間に


間に合ってほしい


間に合って


動ける時間の幸せを すきなだけすきなように 知ってほしい


時間だけは撒き戻しで戻らないから


それで 苦しんだ体験を持つ人に


「でも、間に合ってよかったね」


って だれかに


たとえばこれを読んでくれている人に


言えるならそれは私の希望の火だ


間に合わなくなるよりも前に間に合って


この身にはできることがたくさんたくさんたくさんほんとうにあるんだ




わたしを見てだれかが思うのなら


もしそれが


「あの人よりも」


という憐れみのまなざしも込みであっても


それでももし気が付いてくれるなら


わたしの世界でわたしは幸福


身体の不自由の話より


どう生きればたましいが幸福か


そのことをやってみることのほうがすきだから



命さえあれば


立てるよ






本作詩は「一日一詩×だっこプロジェクト」として、朝霧 裕の表現活動、主に写真詩集の自主制作出版へ向けてのご寄附を募っておりますプロジェクト

JistGIving×だっこプロジェクト

と連動して綴っております。私に出来るチャレンジとして、日々の思いを綴ってゆきます。

よろしければ、写真詩集の出版、自主公演の開催他へ向け、皆様のご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。