38田山花袋『東京震災記』を枕橋る→親友声風と今生の別れ俳人富田木歩の死も隅田川 | カフェコアラの空転花火

カフェコアラの空転花火

お立寄りありがとうございます(≧∇≦)

土日は趣味の競馬、平日はうってかわって震災風化の現状と闘うアメーバブログです┗(`o´)┛

各テーマごとに分けてますので参考にして下さい!!

お互いペタコメ負担にならぬよう適度におつきあい頂けたら幸甚です~☆(^з^)U


堀辰雄らが炎の悪魔に追い詰められた枕橋付近、首都高速の高架と東武鉄道陸橋が交錯するあたりに向島の有名料亭八百松が燃えていたことでしょう↓
jeje本日モ@空転コアラ-ファイル00070002.jpg
↓現在の定点観察。水門の先に隅田川。
jeje本日モ@空転コアラ-ファイル0061.jpg
すぐ近く富田木歩(もっぽ)終焉地の碑があるのをご存知でしょうか…木歩の無名性から石碑など立派な目印でないので見過ごされる観光客も少なくないと予想されます↓
jeje本日モ@空転コアラ-ファイル.jpg
木歩は生まれてすぐ病気で両脚不自由でした。また結核に犯されました。貧乏と病魔のどん底にありながら俳句が唯一の光だったもようです。俳句界の啄木ともいわれます。戸板に乗せられて火災から避難します。駆けつけた親友の新井声風におぶられて尚逃げますε=ε=┏( ・_・)┛この辺りは大混乱を極めていたのでしょう。堀辰雄とクラスメートだった佐多稲子「私の東京地図」にも震災直後火災前のようす書かれてます。
jeje本日モ@空転コアラ-ファイル0001.jpg
↑佐多旧居跡は今のすみだ郷土文化資料館。11/17まで関東大震災特別展開催
jeje本日モ@空転コアラ-ファイル0005.jpg
↑一周忌に三囲神社に建てられたら木歩句碑
『夢に見れば死もなつかしや冬木風』
…もう逃げ場がない…木歩も声風も涙を流しながら無言でお互いを見つめ合ったのでした(;∇;)
声風は助かりました。木歩は還らぬ人となりました。享年26。
吉屋信子「底のぬけた柄杓」、半藤一利「隅田川の向う側」など木歩を知ることができるのも生き延びた親友声風の尽力によるところ大きいのです。
身障者ゆえに焼死した最期は苦しかったでしょうが、木歩の生涯ははたして不幸だったろうかと思い巡らせてみました。夢中になれる俳句と出会い、心から語り合える親友と出会う。フミフミ自分は何と出会ったろう(?_?)
隅田川の花火大会は大輪で現代人たちは玉や~と喜びますが、木歩の人生は線香花火のようなイメージ湧くのです(*_*)
隅田川の川面を見ながら瞼が線香花火になりました…
jeje本日モ@空転コアラ-ファイル0008.jpg
↑涙流るる隅田川