私は先月に仕事を辞めた。
職場の人はとても温かい人たちだった。
仕事の最終日、彼らは私にとって不思議だなと思うことを言った。
「ホーリィさん、みんなはあなたのことを受け入れているんですよ。こんなに受け入れられる人って珍しいと思いますよ」
「ホーリィさんは仲間です。」
「みんな、ホーリィさんに優しいじゃないですか」
「ホーリィさんはそのままでいいと思います。良い人ぶったりしないで正直に生きてください」
そうゆうことを言われると、普通は嬉しくなると思うんだけど、私はそういう気持ちにはなれず、家に帰っても、一週間経ってもその言葉に戸惑っていた。
私は好かれていた・・・受け入れられていた・・・
確かにそう思う。みんな、優しかった。
仕事で失敗しても怒らず、助けてくれた。困っているときも声をかけてくれて、支えてくれて守ってくれた。。。
だけど、何でなんだろう・・・
私はそういうキャラではないはず・・・
だから、私は戸惑っていた。良くしてもらうたびに「ここは私のいるところではない」なんて思ったり・・・
居心地が良くて、結局は予定よりも長くいたくせに「早く辞めないと」と思っていたり。。
私は今までずっと嫌われ者、受け入れてもらえない者だったから、「好かれる、愛される」「受け入れられている」ということに慣れていない。
私は牧師になってから、教会で戦うことが多かった。
教会で古くからいる人たちが「やりたい放題」のことをして新しい人たちを見下したり、下っ端のように扱う・・ということがあった。
本人たちはそうゆう自覚はないんだけど、私から見て「これはひどい」と思うこと、新しい人が疲れて、傷ついて教会に来れなくなるということがあった。
それで何とかしようと思ううちに「戦い」になってしまった。。。
弱者の味方をすれば強者の敵となる、少人数の味方をすれば大人数が敵となる。
それでも関係なく、怯まずにしていると、強者は教団に言いつける、そして、教団は強い方の味方をする。
ある時、教団の牧師にこう言われた
「ホーリィ先生のことを嫌っていない牧師は一人もいないよ。みんなが悪く言っている。だけど、僕は『あんな人間でもほんの少しは良いところがあるはずだ、どこに良いところがあるのかって聞かれても答えられないけど、ほんのちょっとでもいいところはあるはずだ』と庇ってあげてるよ」
私はみんなに嫌われているということを知って、開き直ることが出来た。
嫌われることを怖がっていたら、何もできない。
だから、はいはい、どうぞ嫌ってくださーいという気持ちになった。
私は幼い時からたくさんの人に嫌われていた。。
自分ではなぜだか、わからないんだけど、変な子だったんだと思う。。。
だから、父親に虐待を受けていた
母は庇ってはくれず、一人で病院に行ったりしていた(瓶で顔や頭を殴られたりしてたから)
学校の先生には「あなたに問題があるから、お父さんは殴るんでしょうね」と言われた。
救いを求めて教会に行ったけど「変わり者」だから、牧師に受け入れてもらえず、「出ていけ」と言われた。
誰にも好かれない、受け入れてもらえない
だけど、イエス様だけは受け入れてくれてるなと信じたから、牧師に怒鳴られても平気な顔して教会に行っていた。
家族、学校、教会に安らぎを感じることはなかった。
変な子だから嫌われるのは当たり前、でも、イエス様には嫌われていない、だから、感謝の気持ちを込めてイエス様を礼拝するために教会に行く。。。
人に嫌われるのが当たり前だと思っていたから、たまに人に好かれると戸惑う。
教会の若い子たちに「先生、大好き」と言わることがたまにあって、そのたびにびっくりしていた
そして、今回も職場で好かれ、戸惑う。。。
好かれるとどうしていいかわからなくなり、逃げたくなる。
ただ過去を振り返ってみると、私を好きになってくれた信者は若い子以外にもいた。
それでも、凄まじい攻撃をしてきた信者や牧師たちがいたから、「嫌われたことしかない」と思い混んでしまっているのかもしれない。。。
ある時、一生懸命頑張って私のことを傷つけようと教団の牧師を引き連れて5~6人の信徒が「ホーリィ先生に謝罪させる会」という集まりを開いた。
「針のむしろになるのを覚悟しろ」と牧師たちにも言われたけど、全然平気だったし、謝罪はしなかった。
よくこんな会を開く気になったなと笑いそうになった。
けど、この会のことを後で知った「弱者側の信徒」が傷ついてしまった。
私のことを好きだったから傷ついたんだと思う。
やはり私が人に好かれることは良くないことなのかなと思ってしまった・・・
決して嫌われたいとは思っていない
好かれることの方がいいことだ
だけど、好かれると、、傷つけてしまうことが多いなぁと思ったり・・・する
