時々、信者から言われること・・・

「みんなにイエス様を知ってもらいたい。だけど、教会には・・・うちの教会には来てほしくない。

うちの教会なんかに来たら、嫌な思いをさせちゃって、聖書やイエス様を拒否してしまうようになる」

 

なんだか気持ちがわかってしまうことが寂しぃ~

私は七つの教会に赴任した経験がありますが、そのうちの五つの教会に対して

「こんなんじゃ、誰も誘えないよ」と思ったり、口に出して言ったことがあります(-_-;)

 

ずーっと、最後までそう思っていた教会もあれば、ある期間だけそう思っていた教会もあり・・だけど。

 

教会って人の集まりだから、いろいろあって問題が起きることもあるのはしょうがないんだけど、

それでも、はぁ~?(-"-)とか

何なんだろう・・(-_-メ)と思ってしまうことがある。

 

クリスチャンの友人が

「教会ってみんなが『自分は赦された罪人にすぎない』と思っているときはいいんだけど、善人の集まり(と思い込む)と

なってしまうと問題が起きる不思議な場所」なんて言ってたけど・・・

 

教会生活が長くなるとそうなっちゃう人って多い。(だから、自分も人のこと言えないね💦)

 

教会生活が長くなると、自分はたくさんの知識を得たとか、まじめに礼拝し、奉仕し、献金している良い信者だとか、聖書通りに生きているから正しいとか愛があるとか・・・って思い込んでしまうことがある。

 

でも、本当は聖書の御言葉に触れれば触れるほど、教会生活が長くなればなるほど、自分が無知で無力で、弱くて愛がなくて罪深い者だと気づいていかないとなぁ・・

そして、そんな自分でも、愛して赦してくれているイエス様によって生かされていることに感謝していく

そんな自分を助けて守って導びくイエス様が一緒にいてくれることに感謝していく。

そうなればいいんだけど、そうなってないから問題も起きる・・・

謙虚になれず、傲慢な人の集まりになれば問題は起きる・・・

 

古くからいる人が今までのやり方、自分の考えに固執してしまって、新しい人や若い人の意見を全然聞かなくて大変になっちゃうことがあった。

「教会のことを何も知らない人間が偉そうなこと言うな。今までこうだったんだから、それでいいんだ」

みたいなことを言っちゃってね・・・

 

それでも何回も話し合って、やっと新しい考えがが少し取り入れられた~となったこともあったんだけど、、、

それなのに途中でそれをひっくり返してしまうこともあった。

「先生、やっぱりだめだよ、あの何もわかってない人たちの考えは信仰的じゃない、主の御心にかなっていない」

と言って勝手に変えちゃってさぁ~(ノД`)・゜・。

 

それで準備したことが台無しになって、ショックを受けて出て行ってしまった人もいる・・・・

 

話し合って決めたことを勝手に変えるのは悪いことだと言っても通じない、「神に従っただけだ、神の喜ぶやり方をしただけだ」

と言っておりましたが、、「神」じゃなくて、あなたの思いに従い、あなたの喜ぶことをしただけでしょう・・・

 

何かあると「神さまためにやったんだから」と言って自分の非を認めない人たちがいる

「祈って示されたことをしただけ」

とか言って、何でも神さまのせいにしないでください💢って感じです。

 

そんなことがあるといろんな人に聖書の話や神さまを伝えたくても、教会には来ないで・・・となっちゃいます。

 

 

ある時、三時間もかけて、一人の信者が友達を連れて私のところにやってきました。

「聖書の話をしてくれ」

ということだったんだけど

「自分の教会に行かないのはなぜ?」

と私が聞いたところ

「教会に行ったら、(友達が)信仰を持たなくなるでしょう(教会員に躓いて・・)。だから、先生に聖書の解説してもらって、それでまず信仰を持ってから・・・そうしたら、信仰があれば、教会で嫌なことがあっても、なんとか教会生活を続けることができるかなと思って」

と言いました。

 

そこの教会は小さく、古くからいる人たちの絆が深すぎて、新しく来た人たちはその中に入れないそうです。

 

だったら、他の教会に行けば?と思う人もいるでしょうけど、「神がこの私に与えてくれた教会だから」とか「主を礼拝する教会がこんなんじゃいけない、変えていかなくては」という理由で離れない人がいます。

 

それと新しく来た人を助ける使命があるのではないかという思い、教会につながる新しい人が増えることによって教会が健全に変わっていくことを期待している人もいます。

 

そういう思いを持っている人たちの力になれたらいいなぁ・・・

 

 

 

これは以前描いた紙芝居のコピー

ダビデがバテシバ、ウリヤに対する罪を預言者に告白する箇所