百匹の羊を持っていた羊飼いがいた。
ある時、一匹の羊がいなくなる。
そこで羊飼いは九十九匹を残して一匹を捜しに行く。。。
これは聖書にあるイエス様のたとえ話であってクリスチャンならほとんどの人が知っている話だ。
羊飼いはイエス様、迷子の羊は自分自身。。。
羊飼いはたった一匹のためであっても一生懸命になってくれる。
一匹ぐらいならしょうがないってならない。
諦めないで探し続けてくれる。
この箇所を愛するクリスチャンは多い。
かつては自分も迷子の羊。
でも、イエス様が諦めずに愛し続け、探し続けてくれたから、今の自分がある、こうして教会で主に祈り、賛美をささげることができるのだと感謝する人は多い。
私もイエス様に見つけてもらった、だから、私はイエス様の弟子となって、イエス様のような羊飼いになりたいと思った。
そして、聖書学院に入学、卒業して牧師になった。
まだ若かった私は熱い心でひたむきに頑張っていった。
イエス様のような羊飼いを目指してっ!
でも、、それってすごく大変なことでした。。。
なんでかっていうと、みんな、その聖書箇所は好きだし、そこから説教したときは
「やっぱりイエス様って素晴らしい」
とか言って感動したりもしてたんだけど、、、
それを実際に教会でやっちゃうとすっごいひんしゅくを買うのでありました・・・・💦
みんなかつては、迷える一匹の羊・・・
しかし、イエス様に見つけてもらって群れに戻されていく
そして、九十九匹の羊の立場になっていく
残される立場・・・放っておかれる立場、後回しされる立場になっていく
そうすると、不安や不満がでてくるのですぅ。。。
「私はこんなにまじめに教会生活を送っているのに先生は冷たい、まじめに礼拝に出て、奉仕をして、献金もしているのに良くしてくれない。それなのに問題を起こし、人に迷惑ばかりかけているあの人ばかりに目を向けている」
「こんなに神に仕え、教会に、牧師に仕えている私たちを何だと思っているんですか」
いろいろと苦情がありました。
私なりに他の人にも気を配っていたんですけどね
だけど、配慮が足りなかった
すべての人が苦情を言ったり、悪く思ったりと言うわけではなかったのですけどねぇ💦
「自分がちゃんとしているとき、まじめにやっているときだけ、一緒にいてくれる先生よりダメになっちゃったときに一緒にいてくれる先生の方がいいです」
なんて言ってもらえることもありました。
ただ、、、
「あんまり頑張り過ぎてあの人たち(教会の中心にある人達)に睨まれたら、潰されるからほどほどに」
と言われたこともあり、
他の牧師から「幼稚な正義感」とか「もっと大人になりなさい」と言われたりもしました。
もう少し中心人物とうまくやりなさいって言いたかったみたいなんだけど、、、
その人たちがワンマン過ぎて、それについて行けず、教会から離れてしまった人たちがいました。
それで私は、離れてしまった人たちの力になりたいと思ったのですが・・・それは中心人物に敵対することらしかった
そんなつもり私は全くなかったんですけどっ!
力になるって言っても話を聞いてあげたり、祈ったりということぐらいしかできませんでしたし・・・
でも、出て行った人は放っておいていいとまではいわれなかったんだけど、そういう人たちより、今、教会にいる人を優先にすべきでは?と言われ、自分では今いる人にも心を向けて接してたつもりだったけど、そうは見えなかったみたい。。。
結局は教会から出て行ってしまった人を優先してしまってひんしゅく買ったけど、でも、私は教会に居場所がなくて傷ついている人と一緒にいたいと思った。
そんな私に対して「きれいごと」「幼い考え」「偽善者」「無責任」と言う牧師や信徒もいた。
そして、私がそう言われてしまったことを知って
「かわいそう」「ひどすぎる」「こんな教会にいたくない」「先生、潰される前に早くここを出て行ってください」と言ってきた人もいて、一匹の羊のために生きるって大変なことなんだと思った。
その後もいろんなことがあって、教団を2021年に退職した。(20年くらい在籍してました)
今、私は九十九匹を所有することなく、一匹の羊を捜す生き方をしている。
イエス様のように人に何を言われても、九十九匹を置いて一匹を捜し続ける力は私にはなかった。
でも、九十九匹と生きることは残念ながらできなかったけど、一匹のために生きることができて幸せだなと思えている
以前は自分で紙芝居を描いて聖書のお話をしていましたが、今はやってないです。
たまには何か描いてみようかなぁ
もう何年も描いてないから無理っぽいけど・・・
