今、クリスチャン二世であることで苦しんだという人の話を聞いています。

 

献金や奉仕をしないと親に怒られていた

強制的にさせられるとつらいと言っていた。

 

それはそうだ・・・

ずっと昔の話。。まだ教団にいたころ、教会の牧師をしていた時のころ、、、

日曜日の午後、献金をしない息子を叱っていた親がいたので注意したことがある。

こんな場所でそういう話をするのも良くないけど、献金を強制的に・・・というのも良くないって

当たり前のことを言ったつもりだったんだけど、

そうしたら、

「牧師がそんなこと言っていいんですか?教会のために言っているんですよ。献金が集まらないと先生だって困るでしょっ。お給料が出なくなりますよ」

とかって言われ、こういうこともあったから、やっぱり教団を辞めて、組織を出て、働きながら牧師活動したいなんて思ったこともあった。

 

その息子さん・・・教会に行きたくない、信仰なんてないんだよっていう人だったんですけど・・・そういう人に献金させるのって、やっぱおかしいと思ったんだけど、それが通じなかったのが、本当にびっくり。。。。

献金って神さまに対する感謝の捧げものだから、神さまを信じていないのに献金はできないよね・・・

 

その後、その親は他の家の子どものことも言いだし、、、

「あそこの家の子は洗礼を受けたくせに教会に来ない。来ないってことは献金もしてないですよね。先生、ちゃんと集金してくださいよ。今までの分、何年もたまっているはずだからっ」

 

これには私もブチ切れたんだけど、(穏やかに言えなかったまだ30代の時の私・・💦)その人はわかってくれなかった・・・

しかし、その時、不思議に思ったことは、周りにいた人たちも何も言わなかったこと・・・

これが当たり前になっているのだろうか・・・

 

こういったことを何度も経験し、

「牧師なんだから、教会が潰れないように、献金の集金を責任もってしてほしい、ちゃんと教会を守ってほしい」といわれたときは、「そこまでして守る必要ありますか?」と言ってしまった。

 

そうしたら「牧師のくせに教会を愛していない」と言われてしまった。

 

だけど、聖書で言う教会って、献金集めに力を入れてつくり上げるものではないんだけど・・・

 

そんな疑問を持ちながら、時は流れ、教会の牧師を辞め、普通のお仕事をしている私。。。

しかし、退職をしてから、信徒から声がかかるようになった

そのほとんどが教会に行けなくなった人たち。。。

 

退職することによって信用できるようになったという人もいた。

 

そこに二世ということで苦しんでいる人もいた。

今はそういう人たちのために聖書の言葉を伝え、祈っている。

 

楽しく教会生活を送っている人たちとも交流を持てている。

「先生は組織とか教団とか、そういうのは合わないから仕方ないね。ちょっと寂しいけど、頑張ってね」

なんて言って応援してくれる人もいる。

 

教団に従えず、組織の中で生きていけなかった問題児でも必要としてくれる人がいるから、頑張っていこうと思う。

自分にできることをしていこう・・

 

教会にいたときは、「こんなはずじゃなかった」「牧師がこれでいいのか」「こんなことをするために、させるために牧師になったんじゃない」と悩むことが多かった。。。

 

文句を言われるのが面倒で、仕方なく従い、冷めた心で、枯れた心で礼拝儀式を行っていたこともあった。

私にとって教会の牧師は荷が重かったんだろうなぁ。

ヘタレな奴だったから・・・