それは、レイモンドチャンドラーの名作。ナイスガイ、というより、たいしてうだつの上がらない私立探偵、フィリプ・マーロウが登場する「ロンググッドバイ」。決して派手な、あるいは聡明な探偵としての活躍がそこに期待されるわけではない。ただ、女房殺しの疑いをかけられたまま自殺した友人の嫌疑を晴らそうとするマーロウの身に迫ってくる様々な災難に彼流のスタイルで、いやある意味で不器用に身をかわしていくというお話。これが、チャンドラーの筆にかかると、しゃれたセリフとリアリティーによって、なんとも魅力的な男を醸し出す作品になっているのだ。このストーリーの中で有名なのが、友人と酌み交わすギムレットというカクテルだ。だが、二人が別れる前に、マーロウは、気が動転している友人を落ち着かせるために淹れるコーヒーにも彼のこだわりを見せる。
以下、「ロンググッドバイ」(村上春樹氏訳)からの抜粋。「長いお別れ」と題して、清水俊二氏の訳もある。
・・・・・・・・・・・・
水を火にかけ、コーヒーメーカーを棚から下した。ロッドを水で濡らし、コーヒーの粉を量ってトップの部分に入れた。そのころにはもう湯が沸いていた。下段の容器にお湯を入れ、炎の上に置いた。そこにトップの部分をかさね。ひねって固定した。
コーヒーメーカーはぶくぶくと音を立て始めていた。私は炎を弱くし、湯が上にあがっていくのを見ていた。ガラス管の底の部分にいくらか湯が残っていたので、火力をさっと強くして上に押しやった。そしてすぐにまた火を弱めた。コーヒーをかきまわし、蓋をした。それからタイマーを三分に合わせた。細部をおろそかにしない男、マーロウ。なにをもってしても、彼のコーヒー作りの手順を乱すことはできない。拳銃を手に目を血走らせた男をもってしても。
・・・・・・・・・・・・・
私は洗面所に行って、急いで顔を洗った。戻ってくるとちょうどタイマーのベルが鳴った。火を消し、コーヒーメーカーをテーブルの麦わらマットに載せた。こんな細かい作業に何故いちいちこだわるのか?張りつめた空気の中では、どんな些細なものごとも演技性を持ち、大事な意味を示す動きとなるからだ。そのときがまさにそれだった。
コーヒーはすっかり下に落ち、いつものせわしない音を立てて、空気が中に入り込んできた。コーヒーは、ごぼごぼと泡立ち、やがて静かになった。私はコーヒーメーカーの上の部分を外し、水切り台の上に置いた。コーヒーを二つのカップに注ぎ、テリーのカップにはウィスキーを少し加えた。「君はブラックでいいんだったね」、自分のカップには角砂糖を二個とクリームを少し入れた。
以上、コーヒーメーカーの描写部分だけを抜粋したが、かなりの分量になってしまった。アメリカでは、西部開拓の時代、カーボーイたちが牛を追って野宿しながら荒野を駆けまわっていた時代だが、彼らに無くてはならないのが温かいコーヒーだ。ひどい時には、何日も町に寄らず、珈琲豆が底をつくと、代替となる穀物を煎ったまがい物のコーヒーで我慢するぐらいコーヒーには目がない。
そんな彼らの飲み方は、首に巻いたバンダナに豆を包んで、棒や石などで砕いて細かくすると、それをヤカンに水と一緒に入れ、火にかけるだけだ。よく、西部劇映画で見るのは、湯気の立ったヤカンからブリキのコーヒーカップに、粉が混じろうとお構いなくドボドボと注ぎ込んで飲んでいる姿だ。
コーヒーの煎りが浅いとカフェインが強くでる。過酷な仕事の疲れを癒すために、彼らの飲んでいたコーヒーは、浅煎りのコーヒーだったのだろう。それが、アメリカ流のコーヒーの由来だとも言われている。
そして1950年代、西海岸のマーロウたちは、その流れから、せいぜい19世紀初頭から西部開拓民の間で流行ったパーコレーター(ヤカンの中にコーヒーの粉を入った籠をセットし、沸騰した湯を籠の中に循環させる抽出器具)で淹れていたと思っていたが、よくよく読むと、なんとサイホン式で淹れていたことが分かった。戦後間もないのに、美しいガラス製のサイホンを日常の道具として使っていたのかと、感心して調べてみたら、サイホンの歴史もかなり古かった。1840年ごろイギリスで原型が発明され、大正4年には、日本でも河野式と言われる今の形のサイホンが、生み出されていた。
今回は、レイモンド・チャンドラーの「ロンググッドバイ」を読んで、それがきっかけでアメリカのコーヒーの歴史に迫ってしまった。コーヒーの世界は、その味わいとか風味に魅力があるだけでなく、それぞれの国や地域の生活や飲み方、歴史や文化にまで興味を広げてくれる。味わい深い飲み物だ。
コーヒーに文化を。戦争のない世の中で。
備前屋珈琲は、昨今の緊迫した時代にも、平和と癒しをテーマに美味しいコーヒーを提供していきます。
一度、お試しください。
https://bizenya.base.shop
あるいは


