過日「雪印」について書きました。
どんなに辛く苦しいこと〔←これって企業側から見てます。〕があっても
企業は、どっこい生き残ります。
それはどうしてでしょう?
まず第一に「企業」には社会的存在価値のようなものがあります。
企業〔組織〕をスクラップ、そしてビルドすることは困難が伴います。
皮肉的言い方をするならば「責任」を個人に押し付けます。
転嫁するという表現のほうが良いかもしれません。
言い方を換えるならば、組織の責任を個人の責任にして
その責任〔現実としては、責任のようなもの〕をその個人が負う
よくある、「辞任」とかが典型的例だと思います。
さて、私captainが、本稿で強調したいことは「個人」であります。
仮に雪印のようなこと〔←2000年に発生した食中毒事件以降〕が
個人であったとしたらどうなるでしょう?
もっとわかりやすい例で考えて見ましょう。
個人が経営に行き詰まり〔←殆どの場合資金的問題〕破綻したとします。
さて、その個人は再生できるでしょうか?
ご存知のとおり信用情報機関なるものに登録されます。
↑俗に言う「ブラックリスト」です。
良くも悪くも「経営者」は経営者としてしか生きていけません。
もちろん妻のこと子供のことを考えると、
そんなことは言っていられません。なんでもやります。
しかし、経営者には経営者としての能力があるはずです。
この国は、一度失敗した経営者には二度とチャンスは与えられません。
「経営の失敗=人生の落伍者」のような烙印を押されます。
事業経営に失敗して、ブラックリストに載って、
一文無しになって、それでも家族を守り続け、
自分の人生を生き抜きたい。
私captainは、提言したい。
とにかく、経営に失敗した経営者には
無条件で、もう一度チャンスを与えよう。
国策として国家の特別融資制度を作ろう。
一度は「死」を覗き込んだ人間には「なにか」があるはずだ。
そんなこんなを考えたのは、この国の中小企業金融の不成熟性を
この度の東北大震災以後の経済状況を見ていると感じたからである。
いつからこの国は、この国の人々は国家に依存するようになったのだろう?
その「国家」がどんどん衰退、堕落、弱体化していっているのにである。
次回は、金融機関〔銀行〕と保証協会によって堕落していく
中小企業の現実を書いてみる。