戦争を知らない私には、あまり偉そうには言えません。
でも、65年前の今日は忘れてはいけないと思うのです。
私は、ぎりぎりのところで「戦争を知らずに」すみました。
「戦後」は「いつまでなのか?」にもよりますが、戦後は知っています。
どうしても、黙祷せずにはいられません。
今から30年前に死んだ父は当然戦争体験者です。
もちろん戦争に行く前の父のことは知りません。
戦争で父は「変わった」のだそうです。母の証言です。
仲間が眼前で「天皇陛下バンザーイ」と叫んで死んでいく・・・・・
父は、戦争を憎んでいました。
かといって、「兵隊やくざ」にもなれ〔り〕ませんでした。
65年経過して、どれだけこの世界が変わったのであろうか?
【時】の重みと軽さが私の脳みそを掻き回しています。
初めて、広島の式典に米・英・仏の大使が参列しているそうです。
65年の歳月が必要なことだったのでしょうか?
それとも、私達は「時の概念」を変えなければいけないのでしょうか?
以前にも書きましたが、
「時」を視覚で捉えるようにしたことは我々人類にとって
最大の過ちだったのだろうか?