「手術おさえて!!」
「産婦人科部長に緊急帝王切開オペになるって
連絡して!!」
陣痛室に入って8時間が過ぎた。
子宮筋腫の合併症の為に計画分娩で
2011年6月27日、朝の8時に自らの足でこの
陣痛室に入り
誘発剤入りの点滴に繋がれること8時間。
そのラストがとんでもない結末になるなんて
誰が想像できただろうか?
ただ、医療の素晴らしさとチームプレーは
まるで救命救急のドラマそのものだったこと。
あの日のスタッフの皆さんに
一生感謝する日が、今日この日であることは
先に述べておきたい…。
2週間前まで逆子だった赤ちゃん👶
「もう34週だし、帝王切開のオペ予約いれましょう。じゃあ6月19日にオペ予定ね」
手術かぁ…。
身重なカラダでどんよりした気持ちで帰路に着く。
逆子運動も頑張った。
片道1時間かけて逆子が治る鍼灸まで自費で
1回1万円✖️3回も通った。
でも、逆子のまま。
手術なんて冗談じゃない!!
盲腸の手術こわくて、🍉さえ食べない人生送る私に
面倒な逆子体操でも、痛い鍼灸でも
手術さえ回避できれば、それでヨシ👍だった。
神様は私の努力を見捨てなかった✨
なんと!!
めでたく逆子が治り
オペ予定はキャンセル。
しかし
自然分娩に移行が決まったのは
運命の歯車⚙️が変わった瞬間でもあった。
そして、今日の最初の文章に至るのだった。
ー臍帯離脱ー(さいたいりだつ)
陣痛室入室から8時間を超えた時だった。
へその緒が赤ちゃん👶より先に対外に出る事で
産道出口でへその緒が挟まり
赤ちゃんに酸素が行かない状態に陥ってしまったのだ。
陣痛室のベッドから突如、ストレッチャーへ移されて、手術室へ向かっていた。
午後3時30分過ぎ。
手術台に移され、台の周りにはたくさんの
医療スタッフ。
産婦人科部長
麻酔科部長
オペ室担当外科の先生
助産師さん
新生児集中治療室の先生
などスペシャリストな先生が一同に集まっていた。
後から聞いた話。
「外来が落ち着いた時間帯だったから
ひとつの命を救えた」
そう伝えられて涙した…。
今も、あの急変した時の事をよく覚えている。
手術室。
赤ちゃんの心音モニターからの音は
今にも止まりそうな音を最後に聞きながら
麻酔が入った…。
夢を見ていた…。💤
不二家のペコちゃんの夢を…。
それは4年前に流産した赤ちゃん👶だったのかも
しれない。
〜キミはこっちに来ちゃダメだ!!生きるんだ!〜
「赤ちゃん、無事だったよ😃男の子だったよ」
目が冷めると病室にいた。
酸素マスクが顔を覆う。
涙さえ流れない。
感情が追いつかない。
カラダには、様々な管やら点滴も繋がっている。
あぁ、手術したんだった…。
赤ちゃん👶生きていたんだ…。
次の日、息子を蘇生してくれた新生児集中治療室の先生から
「息子さんの脳に15分程度、酸素が行き届いていない状況での出生後になりました。
脳症を患っている可能性がらありますが、
まだ生後1日目なので、何もわかりませんが…
ただ、将来、歩けない可能性も考えられます。
早期のリハビリ開始をオススメします」
大号泣をした。
地獄に突き落とされるような宣告も
私ひとりで受けてきた。
あれから12年。
今、母子家庭となり
時には息子が私を助けてくれる場面も多い😅
発達障がい
それはあの日の後遺症と私は思っている。
私が子宮筋腫の治療と向き合わずにいた天罰だと
思いつつ
逆子のままだったとしたら、障がいなんてなくて
家族も円満で
今とは違う人生だったのかな…。
でも、今回の人生、これはこれで良かったと
思う。
母子で田舎暮らしに踏み切り
知らないこの土地に1人2人と知り合いができて
私はペーパードライバー🚙を脱して趣味はドライブ🛣️になり😃
↑福島県の只見線🚃
息子は、この土地に愛着を示す最近が微笑ましい😊
だから私は拙著の本を
たくさんの人に読んでいただきたいと願います。
今日はお祝い🥂だ-💕