マッサージ三昧をしながら、
他に街中を歩き回り、近くのヒンズー教寺院を見学に行ったり
その裏に開けているビーチに行って、波打ち際を歩いたり、サンベットとパラソルを借りて本を読んだり
ホテルのプールに行ったり
ショッピングセンターに行ってお土産探してみたり↓スミニャックスクエア
それに隣接する↓スミニャックヴィレッジ
最初の数日で、街中を歩き回り、頑張りすぎて疲れてしまいました。
そうなると、なんかもうやることなさすぎて。
朝ごはん食べ過ぎでお腹重くて動けないし、やることないしで、一日中ホテルの部屋にこもってしまって、ものすごい罪悪感を感じました。
せっかくバリまで来て、何もしないなんて、なんてもったいないことしてるの、時間の無駄使いをしているダメな私…。
と自分責めに陥ってしまいました。
私は、普段、時間の無駄が嫌いで、少しの隙間時間でも何かできないかと、あれこれやってしまうクセがあり、頑張ることが好きで性に合ってて、「何もしない」ということが悪いことのように感じてしまうのです。
でも本当は、頑張りたくないのです。ゆっくりのんびりしたいのです。でもそうしちゃダメなような気がしてたのです。
よくよく向き合ってみると、子供のころ、頑張って働く両親の姿を見て育ったので、それが当たり前というか、頑張るのが当たり前、最大限努力すべし、と思って、親の期待に応えようとしていたのだと思います。できる子どもになりたかった。できる子どもでありたかった。ほめてもらいたかった。すごいねって言ってもらいたかった。
本当の私は、のんびり屋でスローモーで、あまり要領がよくない子供だったのです。
だから、頑張って、早くできる自分になって、認めてもらいたかったのです。
努力の甲斐あって、少しは早くできるようになりました。
それでも、頑張っても頑張っても、「まだまだできるはず」と言われたら、際限なくやり続けるしかない。
いつまでたっても「こんな私じゃだめだ、もっともっと」といつまでたっても不十分な感じがして、自分に自信が持てなくなってしまってたのですね。
自信をつけるには、人に認められるには、自分の価値を感じるためには、人の役に立たなければならない、とか変な思い込みもあって。自信をつける方法は全然違うのにね。
何もしないことへの罪悪感、はそこから来ていたんですね。
何もしたくない、何もしない、ラクしたい、という憧れ。
それを自分に許してみよう、「何もしない」をやってみよう、だって、それをしにここまで来たんだから。
自分の内側を解放して整えに来たんだから。
というわけで、何もしなくてもいいんだよ、ゆっくりのんびりしていいんだよ、と自分に許可を出しました。
最初は心がザワザワしましたが、数日で慣れてきて、これでいいんだ、とOKを出すことができました。
頑張りすぎを手放す、というのは、バリに来る前から、ここ数年の目標ではありましたが、なかなかできませんでした。
仕事を(例えばケーキを焼くとか)、やろうと思えばできるのにそれをやらないで(手を抜いて)、お店の売り上げが落ちて、閉店に追い込まれたら怖い、という不安があって、なかなか手放せなかったのです。
確かに頑張ることは悪いことではありませんよね。でも、頑張りすぎは、自分にものすごく無理をさせて、辛い思いをさせているってことですもんね。自分を大事にしているとは言えませんよね。
楽しく頑張れてたらいいと思うのですが、頑張りすぎて辛い、というのはちょっと本質からずれていますよね。
頑張ったから今がある、とも言えますけど。
そこのバランスをとるのが、日常続けていく中では私には難しかったんです。
バリでの大事な学びでした。
何もしないことへの罪悪感を手放し、頑張りすぎを手放し、自分にムリをさせない、疲れたらゆっくり休む。
今まで、こんな当たり前なことを自分に許してなかったのですね。
大事なのは、自分が幸せに生きることが最優先ということ。
これからはなんとかペース配分を考えて、日常に活かしていけたらと思います。
カフェ プリヤートナ
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