ヤグディン インタビュー記事2修正版! | カフェ プリヤートナのブログ

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以前、ヤグディンのインタビュー記事の訳を書かせていただきましたが、なんとなんと、お客様でロシア語に長けていらっしゃる方がいて、わからなかったところや、間違ったところなどを教えてくださいました!!


お客様のご了承を得て、訳の修正版を書かせていただきます。

 

以前の訳の方は削除いたします。

間違った訳がそのまま伝わって、ヤグディンのイメージが損なわれてしまったり、誤解を生むもとになりかねないですよね…。申し訳なかったです。


http://www.gorodnews.ru/tele7/item.php?id=88&from=read_dop


「タチアナ・トットミアニーナとアレクセイ・ヤグディン:リーザは、ポジティブで・・・頑固、パパのように」


Q:舞台のパパを見て、リーザ(娘)はどのような反応でしたか?

T.T(タチアナ・トットミアニーナ):リーザは(びっくりして、ショックで)身動きできませんでした。一時間舞台が行われている間、娘は表情を変えずに黙って立って(見て)いました。それは全く彼女らしくありませんでした。彼女はとても活発な娘だからです。しかし、ここではあまりにも彼女はすべてが気に入ったので、ほんの少しも(気が)それることがなかったのです。そして、芝居が終わった時、舞台の上に上がり、言いました。「私もここにいたい!」


Q:もちろん女優になる・・・・

A.Y(アレクセイ・ヤグディン):娘がやりたいことは全て趣味としてさせたい。肝心なことは、それが教育を妨げないということなんだ。


Q:あなたたちは、良い教育を与えることに大きな意味があるのですね。本当に娘さんを氷の上に立たせるつもりはないのですか?

T.T:そうです。私たちはそれを望んでなかったのです。しかし、ほんの少し見逃してしまいました。リーザはすでにスケートを滑っています。彼女は数か月、サンクトペテルブルグのおばあちゃんの所にいました。そしてそこからスケート靴を持って戻ってきたのです。氷の上に立ちたいという自主性はリーザのものでした。娘は普通にスケートリンクに行き、大声で叫び始めました。「ママやパパのようになりたい!」こうなったらおばあちゃんはもうどうすることもできず、彼女にスケート靴を買いに行ったのです。今では私たちがモスクワで滑るときにはリーザを一緒にトレーニングに連れて行きます。


A.Y:リーザがスケートを滑ると知った時、恐怖というほどではないが、しかし激しく当惑したよ。僕とターニャは、娘がまだこの世に生まれるまではしっかりわかっていた。僕たちの子供はスポーツには進まないと。僕たちが育ったソ連では、もしスポーツマンになったら、外国へ出て行き、世界を見るチャンスがあった。今は旅をすることを妨げるものは何もない。教養を受けた人はいつでもどこででも必要となるだろう。


T.T:スポーツは、健康や成長のためにやって行くのはいいです。サンクトペテルブルグで、おばあちゃんはリーザを体操の練習に行かせました。しかしそれはプロフェッショナルなレベルのものではなくて、遊びのレベルです。


Q:リーザが生まれた時、リョーシャ(ヤグ)はまだ、自分が父親だという「父性」本能がなかったと認めました・・・

T.T:それはずっと前からでした。その時、リョーシャは、この小さな赤ちゃんをどうすればよいのかわかりませんでした。しかし夜中に彼は、リーザの叫び声に静かに起き上がりました。「僕は父親だ。おしめを取り換えるのはしない」とは言いませんでした。彼は手伝えることはすべてやってくれました。しかし、それでもやはりリョーシャと娘との交流は本当に何もありませんでした。リョーシャはそもそも、互いを理解するようになるには、興味を持つ必要のある人なんです。そうよね、リョーシャ?


A.Y:リーザといることが面白くないということではないのだけど、そう、率直に言うと、父親としての感覚がなかった。母性本能は、子供が生まれるまでにすでに出てくるのだろうね。男の方は全く違うようにできている。リーザと過ごす毎瞬がどれほど心地よいかを理解し始めるまでにおそらく一年半ほどが過ぎていた。


T.T:リーザが、「パパ」という言葉を初めて発音した時に、すべて変化したと思っています。ちょうど一歳半ごろ発音しました。リーザはたどたどしく話し始めるのは遅かったです。ある種言葉よりも、ジェスチャーで付き合う方を好んでいました。私たちは、娘をとてもよく理解していました。だから、おそらく娘は言葉を用いる必要がないと感じたのです。そして娘は3歳になり(殻を)破りました。今は(娘を)止めるのは不可能です。最近、6時間も渋滞にはまったのですが、その間中リーザはずっと話していました。最初の一時間は、周りに見えるあらゆることを電話でおばあちゃんに話していました。その後は私達と話していました。私は、まさにリーザが話している間、リョーシャは心の奥底で「やっぱり僕はパパだ」とドキドキしていたと思います。


A.Y:幸福な大事な時間が始まったんだ。


(・・・以下、ヤグと娘のたわいない会話が続いています。省略します。


また、この後の質問では、どちらがしつけをするか、とか、娘が悪さをしたときにどのようにしかるかとか、が書かれていますが、こちらも省略します。)


Q:・・・別々のお財布

(家庭の)財政問題も歩み寄っていますか?

A.Y:それについては、一度も対立したことはないよ。 そう、僕たちは一度も共同利用をしたことがないんだ。しかし、僕は、男が家族を養うべきだということはよくわかっている。でも、ターニャも働いているし、必要なものを考慮して、給料を使っている。一つのバスケット(財布)にすることは簡単だけど、そうするかどうかはわからない。


T.T:それにも拘わらず、私は、私たちの母がそうであったように、食事の準備や、運んだり片づけたりすることや、洗濯することは、女性がやるべきことだと思っています。つまり男性の世話にはなりたくないのです。(男性に頼りきりになりたくないのです。)(←訳者様によると、ロシアでは日本と違って、男性が料理をしたり、家事をすることがよくあるとのことです。)


Q:(2人が出会って6年になるが)それはかなり長い期間で、子供も成長しました。2人の関係にロマンチックのための余地は残っていますか?

T.T:リョーシャにとっては、ロマンチックというのはたいてい何かおかしな定義なんです。


A・Y:そう、僕はたいてい、何か物に理解がないんだ。たとえば、僕は何か贈り物をされるのが好きではない。すぐに気まずく感じてしまう。何のためにそれを僕に(くれるのか)、僕は全てを持っているのに。僕はプレゼントは好きではない。プレゼントを受取るのが好きな人を理解するのは僕には難しいよ。

それが相互関係の最初の段階で僕達に生じた不快で理解不能なことだったんだ。

今は僕達は歩み寄っているよ。もし、何かお祝いの日が近づくと、ターニャは僕に、持ちたいと思う物の写真を送ってくる。こういう方法は、僕が(何かを)探したり、選んだりする苦しみから開放してくれる。

ある時、ターニャは何かただ一つのものを欲しがった。それで僕は彼女に犬を買ってあげた。そしたら泣かれてしまったよ。僕達は今は全てちゃんと理解している。

花や思いがけないプレゼントをするロマンチックさは、僕達にはないんだ。


T.T:これは、リーザが産まれてから、私たちはお互いに忘れてしまったという意味ではありません。年に2回、私達は2人だけで休暇を過ごすようにしています。

ロマンチックさ、それ自体は・・・、いずれにせよ長年の間に全部過ぎ去ってしまいます。残るのは、時々気持ちを惹きつけあう真に人間的な関係です。

ふと人間はある人を見て思うものです。「長い時間が過ぎ、多くのことが起こる、それでもやはり私はあなたが大好きよ!」と。そして、ただただ彼にしっかりと寄り添い、放したくないと思うのです。それこそが重要なのです。


以上です。

本当に教えていただきありがとうございました。

貴重なお時間を割いていただき、深く感謝しますアリガトウ

文章のつながり方が難しかったり、意味が全く逆だったりするところもあって、間違ってお伝えしてしまったことを、申し訳なく思いますううっ...ごめんなさい

正しい訳をお伝えすることができて本当によかったです。



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