南十字軍が東方遠征で持ち帰った102頭の牡馬。
その牡馬と英国の土着牝馬の交配よってサラブレッドは生まれました。
そして、その102頭の牡馬は、やがてたった3頭に淘汰されていきます。
中島国治氏は芸大の声楽科の学生時代にイタリア・ミラノにオペラ留学をしています。
そのイタリアで空前絶後の大成功した、ドルメロの魔術師フェデリコ・テシオの極秘文書に触れます。
中島氏は私にメモもとらなかった、下宿場に帰ってからノートに書き写したと言っていました。
フェデリコ・テシオの理論+中島氏のオリジナル理論で日本競馬に絶大な影響を与えていきます。
メジロアサマからエスポワールシチーまで、その時代の競馬を盛り上げてきたスーパーホース達にも深く関わっていきます。
カネミノブ・・・23回有馬記念
・・・・リーデイングジョッキー加賀武見氏が最後、牧場オーナーに『この馬で勝負させてください』と頭を下げます。その熱意が伝わり阿部厩舎に入厩が決まった。ただ、3歳クラッシクは勝てずにもがいていた。4歳もG2は勝つがG1には勝てずに有馬記念を迎える。有馬記念に勝った際、中島氏は『胸をなでおろしたよ、でも本当に胸をなでおろしたのは加賀だろう』と私にいった。
グリーングラス・・・24回有馬記念etc
・・・阿部調教師からインターメゾの牡馬の依頼があった。阿部調教師に本馬を推薦。トウショウボーイ、テンポイントと共にの3強の時代を走る。
ホウヨウボーイ・・・25回有馬記念(2着:カツラノハイセイコ、3着:カネミノブ)etc
・・・中島氏が配合を担当したが、売れずにいた本馬。結果はG1ホース。
シンボリルドルフ・・・29回有馬記念etc
シンボリルドルフ・・・30回有馬記念etc
・・・日本競馬の皇帝。本馬がシンボリホースメイトに上場した事を知った中島氏は、激怒し和田共弘氏に電話を入れています。
イナリワン・・・34回有馬記念etc
・・・本馬は6歳でアメリカ挑戦が決まっていた。しかし、オーナー保手浜氏は日本競馬の明日の為に、大井から中央に移籍を決定する。オグリキャップ、スーパークリークと共に3強の黄金時代を走る。
メジロアサマ・・・天皇賞(秋)
・・・名伯楽尾形藤吉氏が愛弟子の保田氏が調教師になるお祝いにアサマを転厩させていた。尾形氏の愛弟子への愛情が伝わってくる天皇賞馬でもある。
サクラショウリ・・・ダービーetc・・・オーナー全氏は府中市民と共にをダービーを喜びたい!と日本ダービーの大一番に挑みます。
クライムカイザー・・・ダービー・・・暗い部屋、皐月賞の8ミリビデオを擦り切れそうになるまで見ていた二人の男がいた。加賀武見氏と中島氏である。
カツラノハイセイコ・・・・ダービーetc・・・父ハイセイコーの果たせなかった夢を果す。配合担当は中島氏。
テスコガビー・・・オークスetc
タップダンスシチー・・・ジャパンカップetc
etc
吉田善哉氏の二度のラブコールには、今の人間関係を切る事はできませんと説明し断っています。
日本競馬史には中島国治氏の名前は刻まれていません。
表には出ない、日本競馬の影を演じきりました。
中島氏がいなければ、
ゴールドシップもオルフェーヴルの走りを見ることはできませんでした。
グリーングラス、トウショウボーイ、テンポイントの3強の時代の競馬を見ることもできませんでした。
イナリワン、オグリキャップ、スーパークリークの3強の時代の競馬を見ることもできませんでした。
メジロマックイーンの父系3代天皇賞馬の偉業を見ることもできませんでした。
メジロマックイーンVSトウカイテイオーの対決も見ることもできませんでした。
中島国治氏はもうこの世にはいませんが、サラブレッドの血の中で今も走り続けています。
酒場にも行かず!有馬記念考えます!