昨夜、突然のオグリキャップの発作に、家内と二人、大慌て。

大好きな14歳以上のエサに口をつけず……。

毛布の上で横になっていたと思ったら、激しく痙攣しはじめ、ひょろひょろと起き上がっては、キッチンの狭いところを見つけては突進していく……。

途中、ついでに、ウンチをひとつ……。

 

そんなわけで、今日の午前は病院へ。

加齢による癲癇的な発作とのこと。

今年の3月で18歳になります。

昨年の秋にも発作的なことはありました。

急遽、登録していたジャズセッションをキャンセルしたものです。

今回の場合は、そのときとは明らかに違うレベル。

 

さいわいなことは、近くに私たちがいるときに発症してくれていることです。

とは言いつつも、そっと撫でるだけ……、そばで見守るのが精一杯。

 

薬の処方を受け、しばらくは様子を見ようと思います。

 

昨年末、忘年セッション会で、ベースの方に言われたことがあります。

その方は、現社長、来季からは会長に就任されるとのこと。

言わば、人生の先輩です。

 

あらゆることに通じるひと言を頂いた気がします。

 

今回初めて、私は『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』をアルトサックスのキーDで演奏しました。

ソロの部分は、自分が書いたものを演奏。

演奏後に、そのベースの方に、

私は、音符やコードをしっかりと理解できていないのですが、感覚的に好きな流れのフレーズを吹いているのですが、合ってますでしょうか?

と問うと、

全然大丈夫ですよ。コードなんて、結局は後付けですから、と……。

 

これまでの私の思考回路は、無意識のうちに、因果応報というものに囚われていたように思います。

目の前に横たわる結果は、すべて何かの理由がバイアスとなってもたらしたものだ、と思っていました。

でも、それは、結局のところ、後付けなのかもしれません。

どうしても、腑に落としたい一心でこしらえた恣意的な考察だったのかも、と思いました。

ただ、妙なことに、必ずと言って、結果を導くための原因が――距離感は違えど――必ずと言っていいほど存在するのは確かなことです。

つまり、直接的、間接的ということを含めて……。

そのような目に見える、見えないに拘わらず、強く納得させられる事象を幾度となく経験したのも事実です。

ま、どんなことであれ、結局のところは後付けには違いありません。

 

後付け……。

どんな後付けがつきますかね?

ある意味、楽しみではあります。

まだもう少し、人生は続いていきそうなので……。

 

カメレオンとも形容されていたのを何かの記事で読んだことを思い出します。

ま、そうでしょうね。

『フリー・ホイーリン』で影響を受けた日本のフォーク・ミュージシャンも多数。

吉田拓郎の『イメージの詩』には、その影響を色濃く感じられます。

ロックへの扉を叩いた『追憶のハイウェイ61』。

カントリーへの傾倒をみせた『ジョン・ウェズリー・ハーディング』。

音楽としての全体像を力強く推し進めた『血の轍』や『欲望』。

中学生の頃から大好きなミュージシャンの一人です。

『欲望』でエミルー・ハリスの存在を知ったときにはニヤリとしたものでした。

私にとってのボブ・ディランは、ある意味音楽への入り口だったように思います。

その先に拡がるさらなるきら星へと繋げてくれる階のようなもの。

それは、大人への階段とも相関していたようにさえ思います。