今日も、頭上には青空が拡がっています。

遠くに見える稜線は、まるで臥龍のように静かです。

 

本当は、誰でも自分の力量は知っているもの。

若い頃は、可能な限り背伸びをしていた自分に苦笑い……。

 

好奇心というコンパスを片手に、興味は放射状に拡がっていきます。

 

夜のご飯は、のり弁。

でも、腕に着けている時計はRADO。

ハウスマヌカンという言葉が、巷を賑わしていた頃のこと。

アパレルの営業時代。

エグゼクティブなんて言葉に憧れたものです。

 

ま、そんなバカげたことに憑りつかれていたな、と思い出してはまた苦笑いです。

 

娘は、音楽を聴くのは、もっぱらケータイ。

最低限のドンシャリがあれば、おそらく問題はないのでしょう。

 

でも、それを狙って制作をされている方ならともかく、音にこだわりを持って取り組んでいる人たちの音楽を再生するのには、やっぱり小さくてもアンプとスピーカーは必要不可欠です。

 

また、芸術としての再生にはそうですが、ライブだとそこには大きな隔たりが出てきます。

ライブの音は、CDやレコードに収まりきらないレンジで五感に突き刺さってきます。

 

目的に応じた適正な視点。

これがわかるのに、ずいぶんんと時間を要したように思います。

これは、どんなことにも通じます。

 

ま、これからの時代、臥竜鳳雛と称される傑物は出現しますかね?

ま、それも、幾年も経って、振り返ってみてわかることではありますが……。

 

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夏の日の恋なんて 幻と笑いながら

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この、歌詞の『ながら』のところの音がグッときます。

また、

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男なんて シャボン玉

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この歌詞の『玉』のところへの繫がりがたまりません。

 

リアルタイムで聴いていたときよりも、今のほうが断然楽曲のよさを理解しているような気さえします。

どんなことも、やっぱり、振り返ってみてわかることなのかもしれません……。