昨日は、夜の8時半に福知山駅へ。

娘が帰ってくるというので、家内と迎えに行きました。

家族で車に乗る時は、大概が私の運転です。

でも、年を追うごとに夜の運転が苦手に……。

対向車のヘッドライトで、峠のセンターラインが見えづらくなってきました。

 

今、問題になっているのが、ケニアに広がるフェミサイド。

男性による女性に対しての身体的暴力や性的暴力の果ての殺害。

どうやら、根底には伝統的な家父長制が色濃く影を落としているようです。

 

かつての欧米、またかつての日本もそうでした。

ただ、現在は、日本国憲法の元、男女ともに人権は認められています。

そう言いつつも、家長はやっぱり父親が主流。

天才バカボンでも、お母さんはお父さんを立てていました。

昭和の時代は、まだ意識的には途上のまま。

いくら敗戦による明治民法の改正があっても、すぐには根付かないもの。

私が子供の頃も、母親から父が許可すればよい的なことをよく言われたものです。

父親の承諾を得るという暗黙のルールのようなものが、当時存在していたのではないですかね。

収入を得るのが父親。

家事をこなすのが母親。

そのあたりが大きな要因だったと思います。

 

今では、共働きが主流。

お互いを敬い合い生活していけば、大きな衝突もないはず。

小さな見栄や無意味な意地は、その都度洗濯物と一緒に洗い流していけば大丈夫。

各々の責任を考慮すれば、自ずと取るべき道は見えてくるのではないですかね。

 

よくニュースで耳にする『躾のために』と言いつつ暴力を振るうのは、自分の弱さを覆い隠したいだけの身勝手な行動のように思います。

その場合、内縁の夫と言うのが常套句。

母親だけで子供を抱えるという実態が、精神的に不安定な状況という事実を浮き彫りにしているように思います。

また、16歳の女の子が、10日ほどで100件以上の売春をさせられていたとの報道も……。

そうなると、遠いケニアだけの話ではなくなってきます。

 

やっぱり、人のふり見て我がふり直せ、ですかね。

そんなことを痛切に考えされられる世の中は、これからどこに向かうのでしょう。

ま、ことあるごとに常識という物差しを充てつつ、『人って、そういうもの』的なことをベースに考えていけば、軋轢や確執の波や渦に呑み込まれる確率を少しでも下げることは可能な気がします。

 

運転は、お父ちゃんの仕事。

午後からは、車で網野町にある古着屋さんに3人で行く予定。

私は、先日購入したフランネルのパンツの裾上げをしてもらおうと思っています。

 

ま、ね。

ごめんなさい、と素直に謝ることができれば、問題はないのでしょうけども……。

それ自体が、なかなか難しい問題なのでしょうね。

It's hard for me to say I'm sorry...