今、朝ドラを通じて、阪神淡路大震災や東日本大震災について、改めて思うことがあります。

それは、当事者にしか理解できない胸の内、願いや希望、痛みや虚無感……。

教わっていないからできない、と言うことではなく、どうしなければならないか、という強い気持ちで真正面から向き合うことの大切さ。

お互い様の神髄の土台のようなものを強く感じます。

人との繋がりの大切さを理解しつつも、どこかで他人事と無意識のうちに切り離している自分がいることに恥じ入ります。

 

『もし、そんな状況に陥ったなら、あなたなら、どうしますか?』となにかの折に尋ねられることがあります。

そんな愚問に、どんな答えを期待しているのか、とさえ思います。

仮定の話であれば、誰でも、いくらでも、きれいごとは言えるはず。

自分にとって、『いい人』と思っていた人が、そうでなかったり……。

逆に、『いやな人』と思っていた人が、手を差し伸べてくれたり、と……。

 

中島みゆきさんの歌詞に、

――街頭インタヴューに答えて 

私やさしい人が好きよと

やさしくなれない女たちは答える

話しかけた若い司会者は 

またかとどこかで思いながら

ぞんざいに次の歩行者をつかまえる――

 

以前にも書いたことがありますが、天皇に直訴した田中正造さん、日本航空墜落時の機長だった高濱雅己さん、福島原発の所長だった吉田昌郎さん、この方々の熱意と闘志には、ほとほと感服するとともに、強烈に憧れの念がかぶさります。

能ある鷹は爪を隠す……。

そうあるためには、日頃から大義や自己犠牲について、考える必要があるのかもしれません。

利己的に渦巻く世の中での存在意義を、少しでもいいから好転させられるような生き方をしたいもの……。

それには、まずは自分から。

そう思うと、自ずと見るべき道標がわかるはず。

熱い人のうねりに身を任せていくのが、自然に身に着くように思います。

次回は、なんとしても足を運びたいと思います。