客観的な視野でモノを捉えるとわかりやすいのは当たり前。

でも、それも渦中にあってはなかなかなもの。

ついつい、結果責任を外へ外へと転化しがちに……。

ま、それが『人』というものです。

そんなふうに物事を捉えることで、仕事上のミスを激減させることが出来ます。

 

よく、私のところであるのが、『言ったつもり』になってしまっていることです。

自分はちゃんと伝えたはずなのに、相手がしっかりと理解していないと、それは『言った』ことにはならないもの。

確実に言えるのは、『相手』は『自分』とは違うということ。

感じ方、考え方すべてが元来は違う者同士。

ただ、基準やルールがあって初めて成立する関係性。

どんなことでも、自分にとって都合のよいように捉えがち。

ま、『人』ってそういうもの、と思っていれば、大概はうまく事が運びます。

ある意味、思いやりやリスペクト。

 

中学生の頃、初めて聴いたディープパープルのライブ。

ま、もちろん後追いでのレコードで、ですが……。

『ライブ・イン・ジャパン』だったか、『ライブ・イン・ヨーロッパ』だったか、忘れてしまいましたが、演奏は覚えています。

今でも、レコードとCDは持っています。

リッチー・ブラックモアとイアン・ギランのアドリブの応酬。

露骨に相手を見下したような掛け合い。

聴いていて、仲の悪さを痛感したものです。

でも、それが楽しくて、何度もターンテーブルに載せていました。

 

また、同じく中学生の頃。

矢沢永吉さんのライブ、日比谷野音か武道館のレコードで、観客の小競り合いをステージから仲裁しているシーンの音源が収録されていて、魅力に乏しい自分にとって強烈に印象に残りました。

懐の大きさに淡い憧れを重ねつつ、何度もそのレコードを聴いたものです。

ま、もちろん、レコードとCD、今もどちらも持っています。

 

そして、高校生の頃。

ジャズを聴くようになり、ジーン・アモンズとソニー・スティットのアルバム『ボス・テナーズ』のレコードに出会いました。

パートが変わるごとに、心地よい高揚感に包まれます。

角を突き合わせるようなバトルではなく、互いをリスペクトしているのが手に取るようにわかる演奏です。

聴いていて、『これがジャズだよ』的な音楽に、当時ちょっと背伸びしていた自分に酔ったものです。

 

今、思うのは、『身の丈を知る』ということは、決して憂うことでも恥じることでもない、ということ。

できないことをできるように、知らないことを知っているように……。

いくら自分を大きく見せようと振舞ったところで、相手にはとうに見抜いているものです。

それに気づかないのは、いつだって自分だけ……。

 

どんな時でも、今の自分を認めることで、力強い一歩が生まれる気がします。

そんなことを思いつつ、今、事務所で『ボス・テナーズ』をWindows Media Playerから流しています。

ま、でも、やっぱり、私は1曲目のスティットのアルトを耳で追ってしまいますが……。