意識や感覚のズレのようなもは、誰にもあるはず……。

 

あるシーンだけ切り取ってしまえば、どんなことでも善悪の判断は容易につけやすいもの。

 

また、自分が気に入った記事ばかりを掬えるネットニュースだと真実を掴めないままに……。

 

どんな事象についても同じことが言えます。

その経緯に至るまでのバックボーンが根深く存在するということ。

 

時系列に追ってみると、大概のことは、安易に結論を導けなくなってしまいます。

 

 

鎮まることのない侵略や威嚇。

相手よりも優位に立とうとする意識の蔓延と知らぬ間に助長した慢心。

 

 

それらは、誰しもが幼い頃から感じ取っていた意識や感覚のようにも思います。

小、中、高と学校の中では、現在に至ってもイジメによる自殺が絶えません。

昨日のニュースでは、20代と10代の女子による女子高生の殺害と報道されていました。

 

社会の縮図、人生の縮図のようなものは、至る所に存在するものです。

 

処世術と言えばズルさが先行して捉えられるかもしれませんが、詰まるところ、人は社会に出てから自分に見合った鎧を身に着けて行くように思います。

 

 

少しできるからと言って、いい気になるのは、ずいぶん昔のこと。

20代の頃から今のような心持ちでいられたのなら、もっともっと素晴らしい未来が開けたのかもしれません。

 

後悔先に立たず……。

ま、しょうがないことですが……。

 

 

そんなことを思ったのは、通勤時の矢沢永吉の曲。

可愛いくらいの歌詞に思わずニンマリ。

~お金を持って車に乗り込み、

 ロマンスを求めて、ダンス・パーティーへ。

 

80年代の20代のアメリカ人は、おそらくそんなことは思わないのではないですかね。

子供っぽいと一笑に付す感じ……。

でも、少なくとも日本人である私も、矢沢永吉の歌詞と同じ感覚を抱いていたのは事実です。

プロム……なんだか憧れましたね。

映画『アメリカン・グラフィティ』は、高校生の頃からのアイドルです。

ま、そんなイメージを80年代後半の東京に、どういうわけか重ねては、高校生の頃に憧れを温めていました。

東京での生活がはじまると、両手いっぱいに広げて味わっていたのを思い出します。

 

文化の違いが少しずつ曖昧になりつつある現代、だからこそ大切にしたいものもある気がします……。

私にとっては、トラッドやオールディーズ、そしてジャズと映画です。