そろそろ、本音と建前の摩擦を平和で安全な着地点へと導いてほしいものです。

もしくは、今直面しているあらゆる出来事を通過したあとに見えてくるものがあるのでしょうかね。

もし、そうなら、もう私たちは生きてはいない時代へと課題は持ち越されることになるのでしょう。

ま、難しい問題ですが……。

公平で平等な神様が本当にいてほしいと思います。

 

 

高校生の頃ですかね。

佐野元春の当時の新曲をずいぶんな勢いでこき下ろす人が多かったですね。

スプリングスティーンのパクリ……。

最初のキーボードの音だけ聞いての感想ですかね。

コードや曲想がまるで違うというのに……。

ついこないだも、そんな記事を目にしてビックリ! です。

 

当時はネットはなく、雑誌やラジオで言葉を発信していた音楽評論家が神だったのでしょう。

 

批判的要素は加速をともなって、目や耳から攻撃を仕掛けてきます。

脳に到達するころには、そうかもしれない、と錯覚する人さえ……。

 

今ではネット社会。

自分が知りたい情報は、いつでも手の中に。

 

でも、興味の有無や思考の違いを広く受け止め、その中で自分なりの意見を導き出すという点では、やっぱりNHKや民放のニュース番組がいちばんですね。

 

どんなことでも判断する上で必要なのは正しい知識と豊富な経験です。

 

趣味や嗜好は極端でも構わないと思いますが、思考や行動は思いやりと常識を踏まえなければいけません。

 

景色を一瞥するのではなく、この景色はどのように作り出されているかを考察することで、自分の考えに奥行きと幅が出てくるような気がします。

 

ある意味、オマージュですね。

憧れる気持ちは変わらずに心の底にいつも横たわっているものです。

それが何かの形で――おそらくニュアンスやテイストのようなものとなって、ひょいと表に出てくることも……。

決して作為的なものではなく……。

 

今、振り返ってみても、1枚目、2枚目よりもさらに1段上の階層へと感性を押し上げてくれたような気がします。

今も大好きなアルバムのひとつです。