昨日は、『最後のひと』を読み終え、ひとしきり松井久子氏を思い描いてみました。
『疼くひと』に比べると、構成の違いや表現や機微、奥行きすべてにライトな感覚を覚えました。
ま、限界効用逓減の波に呑まれたのかもしれませんが、そうでなくともいくらかはその影響を被ったのかもしれません。
ま、元来が、『私のための小説』ではないため、満たされた気持ちにならずとも当たり前。
そんなことは、世の中のあらゆるところで見かける景色のひとつです。
それで、『もっともっと』と自分に合ったのもを手探りしつつ求めていくのでしょう。
ま、私の場合、その結果が多くのレコードやCDにDVD。
それと、靴や服、それに小物の数々……。
先日、靴の大整理をしました。
バイク関連のシューズやブーツ。
それと、チャッカーブーツの茶色と黒のもの。
あと、トレーナーとジャケットも。
整理をしていて悲しくなるのが、新品タグが付いたまま、いつの間にか着られなくなってしまっているいくつかのブルゾンやジャケット群。
欲しくて手に入れたものの、クローゼットの中で静かに眠ったままのセーターの数々。
マリー・アントワネット的な意味合いも確かにあったとは思います。
ただ、虚しさを埋めるだけではなく、手に取るものに自分を重ねては想像する楽しみのような……。
でも、もう少し先でいいですかね。
終活的なことは……。
まだ、小さな夢であるジャズ喫茶が残っていますからね。
名前は決まっているのですが、いつですかね……。
jazz and music cafe "Half Note"。
アメリカ的な小物やレコード、CDやDVDは、整理することなく、その時まで持っていたいもの。
宇崎竜童の歌詞に出てくる『インパラ』。
アメリカン・グラフィティに出てくる『サンダーバード』。
これらのミニチュアを見ているだけで、ほのぼのとしたしあわせに包まれます。
高校生の頃から変わりませんね。
その方向性を決定づけたのは、言うまでもなく『メンズクラブ』でしたけどね。
映画と音楽は、やっぱり『アメリカン・グラフィティ』。