昨日は、冷え込みがかなりきつかったですね。

それに引き換え、今日は比較的暖かい気がします。

 

厳しい冬将軍さんも、ここらでひと休みですかね。

 

 

人の感覚は不思議なもので、同じ23℃でも夏には寒いと感じ、冬には暖かく感じます。

 

その時の気分によって、同じ言葉のはずが、微妙に受け止め方に違いを生じさせたり、と。

 

 

曖昧な感覚は、ある意味、黄昏と同じようなものですかね。

 

若い頃、百貨店の課長補佐に会った時のこと。

当時、メンズ・ファッションは、トラッドとDCのふたつのスタイルに大別されていました。

私は、その頃、ラルフ・ローレンのチーフ・デザイナーを経て独立したサルバトーレ・セザラニというデザイナーのブランドの営業をしていました。

いつもお会いする時は1型、つまりアイビールックか、2型のブリティッシュ・トラディショナルですが、たまたま3型に区分けされているデザイナーズ的な紺のスーツでお会いしました。

その時に、目を輝かせて『今日はいつもと違うね。いいのを着てるじゃん』的なことを言われ、しずしずと課長補佐の耳元に顔を近づけ、小さな声で『ディオールです。安かったので……』

『いくら?』

『12万です』

とささやくと、課長補佐は、一歩下がって、ゆっくりとスーツを見回して『たまにはいいね、3型も。俺も1着買おうかな~』

なんて言っておられました。

その時、私は胸の奥でほくそ笑んでいたのを覚えています。

だって、ディオールでもなんでもなく、専門店で買った19,800円のスーツです。

ま、でも当時は、駅前とか駅ビルの専門店に並んでいる服の質が、今より数段よかったのは事実です。

そのことを差し引いても、人の感覚というものは、それくらい曖昧なものだということを痛感したのも事実でした。

 

どんなことにも、『その人なり』の『モノサシ』があって、自分が感じることを肯定化させる『メカタ』というものがあるのでしょう。

 

でも、あまり『どう見られるか』のほうに意識が向くと自滅してしまうような気がします。

よく、『高見えするワンピ』とか『思わず2度見した○○〇〇のブラウス』とかの記事を見て、ふとそんなことを思いました。

どんなことにもバランスは大切だし必須。

『どう見られるか』よりも『どうしたいか』に錘を少し載せるだけで、もっと気分よく生きられるのではないですかね。

誰かにおもねるのではなく、自分のスタイルを大切にしたいものです。

 

70年代後半にデビューしたスコット・ハミルトンというミュージシャンは凄いな、とつくづく思います。

ハードバップ・リバイバルとして、往年のジャズ・ミュージシャンがいくらかアルバムを録音したものの、当時のメイン・ストリームは何と言ってもフュージョンと呼ばれたジャズーー個人的には、ソウルにスムース・ジャズ的な要素を散りばめた感じですかね。

そんな時代の流れを尻目に、気の赴くままのスタイルを追及する姿勢はあっぱれです。

作曲はほとんどせず、既存の曲を自分なりに消化し、つねに表現に磨きをかけ続ける職人気質。

たまりませんね。

私が憧れる理由のひとつです。

『IT'S A LONESOME OLD TOWN 』という曲の演奏が大好きです。

エディ・ヒギンズのアルバム『煙が目にしみる』に収録されています。

是非、機会があれば聴いてみて下さい。

癒されます。