昨日は、久し振りに家内を後ろに乗せ、バイクで籠神社へお詣りに。

すでに、観光バスが何台も駐車場に入っていました。

また、七五三関連の人たちも幾人か見受けられました。

 

仕事に関しても、趣味に関しても、自分なりの流儀やプライドを誰でも持っているもの。

それは、スタンスやカラーとしては大切なことです。

それに併せて、限界境界点のようなものをわかってはいるのも事実。

ただ、認めたくないという反発が心の奥で囁きます。

ある意味、意地のようなものですかね。

それを補うように、時流に合わせてスタイルを変えてみたり、と。

 

昨夜、フリートウッド・マックの『タンゴ・イン・ザ・ナイト』を聴いていて、ふとそんなことを思いました。

彼らは、時代にせっつかれるように、その都度スタイルを変えてきましたね。

ボブ・ディランも年代によって演奏スタイルが変わりはしましたが、根底に流れているソウルのようなものは変わっていない気がします。

 

こんな逸話があります。

サンタナのステージに上がったクラプトンに、サンタナがいつでも入ってきて!、と一緒に演奏しようとしたところ、なかなかクラプトンはグルーヴのうねりに乗れず、演奏に参加できなかった、と。

高校生の頃ですかね、雑誌か何かで読んだような記憶があります。

その時は、どうなん? ミスター・スローハンド!

なんて思ったものでした。

今思うと、とんでもない勘違いをしていたものだ、と自分が恥ずかしくなります。

 

ポジションの違いですかね。

同じイギリス人であるピーター・グリーン。

彼もまたブルースに根付いた演奏を得意としているミュージシャン。

エリック・クラプトンは、ブルースのジャケットを軽く羽織っている感じ。

ピーター・グリーンは、ブルースのシャワーを頭から浴びている感じです。

あくまで個人的・辺境的な感想ですが……。

 

フリートウッド・マックでギターを弾いていたピーター・グリーン。

でも、『タンゴ・イン・ザ・ナイト』のアルバムの頃には、すでにグループを去っています。

その代わりと言ってはアレですが、スティーヴィー・ニックスとクルスティン・マクヴィーがいい味を出しています。

 

私も誇りと意地を持って、仕事に邁進したく思います。

コロナが蔓延することなく、最小限の傷口で推移していってもらえると、先行きの見通しも少しは明るくなるってものです。

ファイト~!

先日購入したL.L.ビーンのフランネルのシャツ。

やっぱり、気分が上がりますね。