人の気持ちは、どれだけ約束をとったところでわからないものです。
その時々で変わる表情は、心の襞に幾重にも色が重なってこしらえられていきます。
昨日、ニュースを見て、以前、アメリカの上下院に対しての演説と同じくらいの大きさの衝撃を感じました。
ウクライナ政府が公開した動画。
支援に謝意を示すためのもの。
壁の崩れた集合住宅の一室に軍服を着た女性が立つ中、英語で「人生最大のプレゼントは、苦楽を共にしてくれる本当の友人たち。ウクライナは難局の下、支援に感謝しています」というナレーションが流れます。
そこには多くの国名が列挙されているものの、JAPANの文字がそこには見当たりませんでした。
私たちには決して見ることのできない思惑の存在が、おそらくそれらの行間に潜んでいるのだと思いますが……。
気にかけている社員に対して、熱意や誠意がきちんと伝わらないもどかしさと同じような感覚に陥ります。
ひとつ頭が抜けるように教えるものの、素直に理解されない寂しさがいつも心につき纏います。
求めないことが、最良のトランキライザーであることはわかっているものの、ついつい傲りが邪魔をしてしまいます。
結局のところ、この歳になっても、私が抱えている器の大きさは、自分が思っているよりもまだまだ小さいという証ですね。
若いヤツの問題も解決に向かう兆し。
ファイナンシャルプランナーの方を交えての借金の返済に向けての計画。
そこまでの状況だとは思いもよりませんでした。
彼自身、そんな内情を見せたくなかったのでしょう。
今日は、午前で雨はやみ、午後には青空になるとのこと。
いろんなことが、いい方向に進んでいくような気がします。
無責任かもしれませんが、兆しは希望へと繋がっていきます。
それが大事。
昨晩は、久し振りに鳥そぼろを作りました。
喫煙のために玄関先へ。
今はまだ、静かに雨が降っています。
雨に煙る景色を眺めては、そうそう、柳ジョージはこういう状況でレイニー・ウッドというバンド名を思いついたんだったっけな、と独り笑い。
柳ジョージの曲の中でいちばん好きなのは、ソロになってからのものです。
18、19歳の頃ですかね。
銀座ジュワイオクチュール・マキだったと思います。
そのCMで使われていた『コインランドリー・ブルース』。
歌詞が載っているライナーを広げては、よく目で追ったものです。
今でも時々、レコードをターンテーブルに載せています。
――
俺たちは ただの魚さ
河の流れまでは 変えられない
流れてゆく海も またひとつだけ
だから その日だけが俺たちのすべて
――
カッコイイですね。



