ようやく等圧線の間隔が緩みはじめたようです。

今朝はこんなにも晴れています。

自宅の玄関先にて。

でも、足元はガリガリに凍っていますが……。

 

このところ何もない日が多い気がしますが、それはぬるま湯に浸かっていたせいで、プラス、マイナスの感覚の鈍化によるもの。

そんなふうに痛切に思います。

 

自我を肯定化させるための不条理な理屈を並べ立てる……。

ある意味常套手段ですが……。

 

満州事変のきっかけも同じ。

 

人でも同じようなことが多々あります。

相手のことを思って言っているようで、それでいて自分の利益を考えてしまう人たち。

 

振り込め詐欺もその一つですね。

我が子を心配しているフリをして、その実虐待を繰り返しては病院へ担ぎ込む母親。

 

絶対の愛とは、いったいどんなものでしょう?

たぶん、それは見返りを求めないことなのかもしれません。

 

その昔、アコムのCMで、ペットショップで見かけた犬でしたかね。

目が合って、思わず買ってしまいたくなる衝動に応えるカード的な内容だったように思います。

 

そこにいてくれるだけで、心が癒される感じです。

 

それにしても、心配なウクライナ。

国民は、いつだって被害者です。

家を奪われ、路頭に迷うことになれば、信じていたモノさえ見失ってしまいます。

何気ない日常のありがたさを痛感する出来事。

机上と現場の感情の温度差は、過去の大戦の映画等で『これでもか!』、と言わんばかりに思い知らされたもの。

 

放っておくと、つい芽吹く傲りの芽。

自分が正しいと、疑うことさえ忘れてしまう感覚。

 

立場が上がれば、その分だけ責任も重くなるもの。

表層的であれ、お互いが手を携えることのできる世の中になれば、いくらか住みやすい環境を構築できる気がします。

地域のコミュニティのように。

 

今は、マーティ・バリンのアルバムを流しています。

稲垣潤一のデビュー・アルバムにも収録されている『ハート悲しく』が1曲目を飾ります。

あの頃は、よく外国曲のカバーがありました。

いやいや、ずっと昔からかなりありましたね、たぶん。

平尾昌晃や尾藤イサオ。

越路吹雪に伊東ゆかり。

憧憬は、いつだって海の向こう側。

私自身も、高校生の頃、アメリカにかぶれたものです。

しかも、リアルタイムではない60年代のアメリカに……。

手が届きそうで届かないこと。

当時は歯痒く思いつつも、今ではすんなりと腑に落ちたり、と……。

憧れや渇きのようなものは、いつだって同じ距離を保って自分の周りを彩る惑星のようなもの。

それは、いくつになっても変わらない気がします。

歳をとった証拠ですかね。

フフフ……。