このところ節操のなさのようなことを感じることが多くなったような気がします。

 

個の勢いが強すぎて社会の枠組みが曖昧になってきているような……。

 

本来の目的は、反社会的な行為を戒めることのはず。

 

 

お得意先でのこと。

私が30歳くらいの頃。

料理旅館のご主人の話に思わず納得しました。

 

その方は尺八の世界では有名な方で、その料理旅館には教えを乞いたいという人が世界各国から見えられます。

料飲組合やご近所さんからも先生と呼ばれるそうです。

 

ただ、そのことが本人にすればこそばゆいとのこと。

 

――私は、尺八の世界では確かに先生と呼ばれてもやぶさかではない。

ただ、そこを外れれば、単に田舎の料理旅館のおやじに過ぎない。

そういうものなんやって――

 

立場が上がると人格も比例していくもの、と人は勘違いをしてしまいがちに……。

いわゆる傲りですが、それは知らず知らずのうちに本来の人格を蝕んでいくのでしょう。

 

 

どんなことをしても勝ちに行く。

それは、生きる上では必要なこと。

でも、伝統と風格を備えた品位とは、ずいぶんとかけ離れたことでもあります。

節操をなくしてしまっては、見るに堪えない寸劇にしか思えない、というのは、私の辺境的な見かたなのかもしれませんが……。

 

 

世の中全体を潔さでくくられれば、袖の下もなくなるはず。

でも、なんとかしてほしい、と思うのは人情。

一筋縄ではいかないこの世の中は、いかようにも自分を強くしてくれるのは確かなような気がします。

 

 

――僕が僕であるために――

高校3年生だったと記憶しています。

元春や浜ショーに次ぐ若いのが出てきたな、と当時思っていました。

あの頃の私自身、今よりもまっすぐだったような気がします。