身近な人に災いが起こると、あわあわとうろたえてしまうもの。
ニュース等での報道は、当事者ではないぶん、どこか遠い世界での出来事のようにさえ思ってしまいます。
ある意味、それは客観的な視点を保っていられる、ということ。
悪く言えば、熱量を共有しない冷めた視線、といったところですかね。
それは、どこにでも、どんな時にでも、存在します。
当事者と部外者を隔てる大きな川のようなもの。
人を殺すのは罪です。
でも、そこに様々な事情が狡猾なまでに絡みつきます。
そうすることで、意味合いや真意に微妙な味付けをしていきます。
ワクチン接種を受ける自由に受けない自由。
ただ、大陸の一党主義の国ではないので強制はできないのは確かな道理です。
忘れてはいけないのは、感染するリスクの存在……。
様々なシーンにおいて自己責任という言葉はささやかれるものの、実態としては放置されることのない安心感をどこかで感じているのかもしれません。
言うは易く行うは難し
やっぱり、せっかく日本に来たのだから、人情的には街を観光したいものです。
でも、そういう風潮は、今や誰の心にも多かれ少なかれさざ波を立てているのかもしれません。
こういう時、長谷川平蔵さんなら、どんな裁きをしますかね。
大岡越前さんと鬼平さんが、総理、官房長官あたりに就いてくれると、誰もが今よりもっと政治に対して関心を抱くかもしれません。
誰もが聖者ではないはず。
いいこともするし悪いことだってしているもの。
さじ加減の難しさは、一生ついてまわるのかもしれません。
スプリングスティーンのファーストアルバムのラストに収録されている『都会で聖者になるのはたいへんだ』という曲。
このアルバムは、さすがにすべての曲がかなりの熱量を放っています。
『おまえのために』という曲が一番好きです。
是非どうぞ!

