今日も暑いですね。

 

今回の新型コロナウィルスが蔓延しているさなかで開催されたオリンピック。

もうずいぶんと沖へと漕ぎ出したボートの上でさえも賛否両論の嵐。

 

小さなセイルでは、思わぬ風を受けては流すことで精一杯です。

緩やかなタッキングにて方向を変えることで、なんとかその場をしのぎます。

 

ストレスを感じつつも、なんとかボードを意思の先へと繋ぎます。

 

ワクチン接種、不要不急の外出自粛……。

それらを受け、自由という言葉の意味に歪みを生じさせては巷を闊歩している様子。

 

公共的な制約の中で、責任を背負い義務を果たすことで初めて自由というものを獲得するのだと思います。

自分の思い通りにならないからと言って、自由という言葉を振りかざすのは、あまりにも無責任。

それは、身勝手な言動であり、また独りよがりな思考に陥っているのかもしれません。

 

赤信号 みんなで渡れば コワくない!

 

中学生の頃、ビートたけしの『毒針巷談』は愛読書のひとつでした。

今思えば、若かった頃の自由と身勝手を履き違えていた自分に苦笑いです。

 

いくつもの勘違いの階段を昇降しながら、痛みを伴いながら大人へと成長していくのかもしれません。

 

眼前に広がる景色は、芳醇な平野ばかりではないものの、道を作ることはできるはず。

次へのバトンを出来るだけ穏やかに、安心して渡せるように……。

 

 

高校生の頃、自由というものを憧れとともに感じさせてくれたのがノーマン・ロックウェル。

そして、音楽はブルース・スプリングスティーン。

映画では、なんと言っても『アメリカン・グラフィティ』。

それらは今なお、出がらしの私を熱くさせてくれます。