今日も、昨日に引き続いてかなりヤバい天気です。

もはや、玄関先での喫煙がかなりキツくなってきました。

 

いつも拝見している方のブログの記事に、思わず賛同しました。

物事を自分が見たい角度からしか見ない人はいるもので……。

 

振り返れば、私もそのうちの一人でしたが……。

中学生の頃は、表層的な善悪に囚われてしまい、また想像力の欠如がレンズの歪みに拍車をかける始末。

狭い視野における正義感に対して、概ね満足していたような気がします。

 

物事の善悪や正誤は、総括的な指針のようなものであって、微妙なバランスの上に成り立つ潮流のようなもの。

大人になるにつれ、そんなふうに思えるようになったのものです。

 

例えば、動物園にいる動物が可哀そう、と仰る方がいるとします。

確かに、そうかもしれません。

でも、多くの人を悦ばせる役目を担っている、という視点に立てば、また捉え方も変わるはず……。

 

犬を段ボールに入れて置き去りにする親子。

ACジャパンのCMです。

『親切な人に、見つけてもらってね』

と優しそうな声で言葉を発する母親。

そのあと、静かに入るナレーション。

心に強く響きます。

『優しそうに聞こえても、これは犯罪者のセリフです』

と。

 

ある年おいた母親の話です。

おそらくは60代後半、もしくは70代前半あたり。

娘と音信不通で困っています、とのこと。

娘が独り暮らしをしていた頃、金銭的な援助をお願いされたとのこと。

でも、その時手持ちがなく、

『あなたも一人でやっているんだから、自分でなんとかしてちょうだい』

と無下もなく断ったのだそうです。

 

それ以来、娘からは一度も連絡が入らない、と……。

それは、娘にすれば当然のことでしょうね。

 

その母親は、もうすでに娘を心配する資格がない、ということに気づいていないのでしょう。

見せかけの心配なのか、自分の老いが心配なのか、本当のところはわかりません。

 

頼られれば、お金を借りてでも娘の心の叫びには応えるのが親の義務であり、また責任だと思います。

そうすることで、心配する権利を手に入れることになるのではないでしょうかね。

 

 

可愛そうだから、とハトに餌をやる行為。

近隣住民が困り果てているにもかかわらず……。

 

 

困っている人に手を差し伸べたい気持ちはあるものの、責任までは背負いたくないというジレンマ。

それをしっかりと真正面から受け止めて、相手に寄り添うそれぞれのNPOの団体の方々には頭が下がります。

 

軽はずみな親切は、ややもすると相手にとっては残酷な仕打ちとなりかねないからです。

 

 

手を差し伸べるのであれば、しかるべき団体に相談するところまで引き継ぐ覚悟を持ちたいものです。

 

 

正義感を装う類の発言は、責任を伴わない単なる承認欲求に過ぎない稚拙なもの。

 

人の心の中には、必ずと言っていいほど善と悪は存在するものです。

その時々の潮の流れで、どちらかに傾きはするものの、なんとか前を向こうと努力するのではないですかね。

 

 

斯く言う私も、若いのに会社を譲ることで、これまでの自分の悪行を赦してもらおう、と虫のいいことを考えているだけなのかもしれません。

深い潜在意識の中で……。

 

 

『That's the way life goes』

ジョン・ヴァレンティのファースト・アルバムの最後に収録されている曲です。

個人的には、セカンドのほうが好きですが、やっぱり思いの詰まった一枚目は濃いものです。

生きていく、ということは、少しずつアクのようなものが取れていくのですかね。

タイトルは、『Anything You Want』です。