今朝は、昨夜からの雨がアスファルトを黒く濡らしています。

窓から見える景色も、どこか落ち着いた様子です。

 

歳のせいか、ふと考えたり、と……。

あるいは、観ていたDVDのせいかもしれません。

ロバート・レッドフォード、俳優引退作。

 

ストレートな感情を幾重にもオブラートで包むように、人は歳をとっていくものです。

空腹を伝えるために泣いていればよかった頃は、すでに遠い過去のこと。

喜怒哀楽をよりスマートに相手へと届ける手段のいくつかを、いつの間にか身に着けていると思います。

川の流れに任せては、鋭角を削り取られ、滑らかさを手に入れる石のように。

 

映画に出てくる年老いた女性の言葉で、とても興味を引く一節がありました。

しあわせ、とはどういうものか、ということ。

結婚して、子供を授かり、子育てをしてきたこと。

そうすることがしあわせ、だと思い込んでいただけかもしれない。

でも、今、子供たちは巣立ち、主人にも先立たれ、たった一人で牧場の世話をしている。

そう思うと、しあわせとはいったいどんなことなんだろう、と思えてくる。

 

人によって、感じ方や捉え方は違うもの。

何かにしがみつくことで、しあわせだと思い込む。

それは、ある意味強迫観念のようなもの。

そう思われたい、という自身の被害妄想的側面による思考の現われのような気がします。

 

本当は、自己の欲求のベクトルは、まったく違う方向を指しているのかもしれません。

 

しあわせを感じる瞬間や事柄は人によって様々です。

でも、虚栄心で心に蓋をしてしまと、真情の発露は行き先を失い次第に澱となって心にたまっていきます。

 

 

やっぱり、歳のせいですかね。

そんなふうに考えてしまうのは……。

 

50代の半ばに差し掛かっては思うこと。

それは、その時々で自分がどれだけ納得できているか、ということです。

その時々でしかできない経験。

深みや幅に至っては、個人差はあるのは当たり前。

環境の違いは、当然ながら経験値の大小に繋がっていくものです。

 

ただ、間違いなく言えることは、過去の自分が――どんな状況であれ――前を向いていたからこそ今の自分がいる、ということ。

それだけは、紛れもない事実であり、本当は誇ってもいいような気がします。

 

自分のことを過小評価したり、自責の念に駆られたり、素直な人ほどそんなふうに思いがちに……。

大丈夫!

これからは、もっと自分を楽しんで大丈夫。

自分をもっと大切に。

 

DVDを観たあと、ふとそんなことを考えてしまいました。

 

傍らには犬が二匹。

家内は、洗濯物を外に。

そして、スピーカーからはエミルー・ハリス。

コーヒーが優しい匂いを醸してくれます。