昨夜、イギリス制作の犯罪映画を観終わって気づいたことがあります。

そういうことなんだ、とすべてが腑に落ちました。

 

それは、まったく映画のストーリーとは関係ないもの。

トリガーのようなもの。

単にきっかけにすぎません。

 

個人的には、あらゆることを紐解く発見でした。

 

多くの方は、とっくに理解されていることなのかもしれません。

ただ、これまで私自身がまったく気づかなかっただけなのかも……。

 

焦燥、渇望、嫉妬……。

それらを釜にかけて煮詰めていたように思います。

 

どんなことも、結局いたちごっこなのだ、ということに、ようやくこの歳になって思い知らされます。

 

その頃には完治さえ難しいと言われる病でも、現代の医学をもってすれば怖くもなんともなく。

また、当時は迷宮入りとして処理された事件でも、現代の科学をもってすれば解決への道が開けることも……。

 

情熱という燃料を胸に詰め込んで、出し惜しみなく推進力へと変えていた頃。

いくら背伸びをしても、思いっきり手を伸ばしてみても、決して星には届かないもの。

でも、ひょっとしたら、と本気で思っていた20代。

 

自己愉悦を満たすことよりも、責任を全うすることへとシフトした30代。

振り返れば、その頃に今日の礎を築きはじめたような……。

 

ただ、いつも視線の先には、遠い空があったように思います。

その時々の気分で、いかようにも映る景色にかぶさるように。

 

 

あの頃、手が届かなかった戸棚の上を簡単に探ることはできるかもしれません。

でも、今は今でまた、簡単に手に入れられないものがあることも事実です。

 

だから、いつだって前を向くこと自体が楽しいのかもしれません。

自分を中心軸に据え、放射状に放たれる幾多の好奇心。

そして、同じ熱量で自分に返ってきたものに対して、少しずつ距離を縮めていきます。

 

そう思うと、これからもまだまだ心地よい熱病に侵されていたいもの。

満たされないことへの憧憬ではなく、満たそうと努力する過程そのものを楽しむために。

 

 

佐野元春の『君を探している~朝が来るまで』。

初めて聴いたのは中学生の頃。

意味不明な歌詞が怒涛となって襲い掛かります。

行先を見失った情熱はマグマと化し、すべてを呑み込んでいきます。

完璧に打ちのめされた曲のひとつです。

今でもイントロを聴くだけで、気持ちがふわっと上がります。