人は長く生きていると、経験に基づく思い込みが、真実さえ捻じ曲げてしまうことがあるような気がします。
それは、その人その人の生き方の表れなのかもしれません。
何かに折に触れ、家族と集まるとき。
例えば、法事ごとや会食など。
年老いた母親が、私の幼少期のことを口にします。
時々、私の記憶と重ならないことがあり、しばしば私を驚かせたり……。
見たいように見たり、感じたいように感じたり……。
客観的ではなく、そこにはつねに主観的な切り口で、過去のことを覚えていくのかも……。
運転に自信を持っていたのなら、絶対にアクセルとブレーキの踏み間違いを自分はしない。
自分が、そんな簡単なミスを犯すことはない、と……。
ブレーキペダルを踏んでいない、というデータとしての裏付けがあっても、現実を受け入れることができずにうろたえてしまう。
でも、本当のところはどうなんでしょう?
術後、膝の曲げ伸ばしに不自由さを感じながら、こないだから『犬夜叉』のシリーズをネットフリックスで見ています。
シーズン2の4話目を見ていて、とても清々しい思いを感じました。
エンディング・テーマは、浜崎あゆみが歌う『Dearest』。
意地を張って気持ちを覆うよりも、勇気を持って自分の気持ちに向き合うことで、まっすぐな心を獲得する。
簡単そうで、なかなか難しいことですね。
些細な言葉の行き違いで、厄介な結果を招くこともしばしば。
それは、血の繋がりがあればなおのこと。
斯く言う私にも同じことが言えます。
私が四魂の玉を持てば、おそらく汚れてしまうかもしれません。
思い込みに支配されない強さ。
相手を思いやる優しさ。
人の気持ちを動かす大きな原動力のような気がします。
今日、実家に行って、自分の小ささに嫌気がさしたところです。
見栄や意地を張った自分が情けない……。
誰だって、陽の当たる場所にはいたいもの。

