昨日は過ごしやすく、Tシャツで寝てしまいました。

油断大敵とは、このことですね。

今朝は、寒くて起きてしまいました。

もうね、若くはないんだから、こういうことで体調を崩してしまいがちに……。

 

でも、会社に着く頃には、容赦なく強い陽射しがフロントガラスを突き抜けてきます。

半袖の腕は痛いくらいです。

 

玄関先で煙草を吸っていると、海辺の集落でよく見かける光景を思い出しました。

窓辺にイカを干している絵にとても似ている気がして、ひとりでクスクスしながらケータイをかざしました。

会社の隣の家は、カバンの製造工場で働くベトナムからの就業者の寮になっているようです。

昨年の5月には、会社のある地域の溝掃除を一緒にしました。

彼女たちが集まると、まるですずめが囀っているかのように、忙しなくも賑やかな空気を振り撒きます。

 

 

他人を攻撃して、自分の正当性を周知させる。

まぁ、周囲から自分をよく思われたいがための常とう手段です。

でもどうなんでしょうね。

自治会等の諸活動に際して、どうしても休めない人に対しても、みんな同じだから、と言って文句を言う人。

本当は、みんな一緒じゃないんですけどね。

ここ何年かは、来れない人を責めていた人が、連絡もなしに顔を出さなくなりました。

環境が変わったせいもあるのでしょう。

大義をもって制したつもりでいたのかもしれませんが、そうなれば単なる自己顕示の身勝手な言動に過ぎません。

 

今回の新型コロナウィルスでも同じことが言えます。

マイナス面は目につきやすいもの。

一律とは平等ではあるけれど、決して公平ではなく……。

過度な正当性が、周囲との不和を生み出したり……。

投函されたマスクもそうですね。

特定の誰かが利する制度は、どうしたってなくならないもの。

やっぱり、田中正造のような人に憧れます。

 

そんなたわごとを言える私は、まだ恵まれているほうだという証拠かもしれません。

これまで通りにはいかないものの、プラスαのパースペクティブを持つことは必要なのかもしれませんね。

何をどうすれば、がいちばんの課題です。

答えは風の中ですかね。

歯痒いばかりです……。

 

 

シナトラのナンバーを、デニス・ソリーとビージー・アデールのトリオが奏でるアルバム『シナトラ・オン・サックス』。

取り立てて名盤というわけでもなく、また革新性があるわけでもありません。

時代や環境におもねるわけでもなく、自分たちの音楽と真摯に向き合っては素敵な空間を作り出していきます。

そこには、ゆったりとした時間の流れと音楽が醸す滋味に溢れています。

本を読むのにはうってつけです。

また、まどろむ午後なんかのうたた寝の子守歌ですかね。

『夜のストレンジャー』には参ります。