今朝も、あまりの天気のよさにつられてバイクでの通勤です。

今更ながら、シフトアップとシフトダウンが少しだけうまくなったような気がして、風を切る気持ちは清々しさでいっぱいです。

若い頃の感覚に戻りつつある、というほうが正しいかもしれませんけどね。

 

歳のせいか、長いブランクのせいか、微妙なクラッチさばき。

今では、おとなしめのリターンライダーです。

気持ちと現実のギャップを、今なお丁寧に調整している最中です。

 

正義感みたいなものもそうですね。

中学生の頃の先生への反発。

2年生の春、友達ふたりと一緒にクラブを辞めました。

バスケ部です。

女子の顧問の先生にも、話し合いのような機会を設けてもらったのを覚えています。

 

今思うと、肉抜きの牛丼のようなものです。

なんだかしょうがないですね。

別のものになってしまっています……。

娘には、しっかりとけじめをつけて、なんて言っていましたが……。

 

自分勝手な正義感は、大きな川へと下るたびに周囲への気配りをするようになっていきます。

河口に辿り着く頃には、義理と人情と世間の情勢の狭間で、まったく別の意味を持つようになります。

物事を測る尺度自体が大きく変わり、道理をわきまえることの大切さを知ります。

責任を持つ、ということはそういうことのようにも思います。

そして、本当の優しさを手に入れるのだとも思います。

――

知に働けば角が立つ

情に棹させば流される

意地を通せば窮屈だ

――

漱石のこの一節は、人との関わり合いの妙を言い得ていて、なんともすっと腑に落ちます。

逆に、可能な限り、そのみっつのポイントに気をつけていれば大丈夫!

 

それも、年を追うごとに、少しずつ皮膚に刷り込まれていくものですかね。

そう思えば、まだまだ若造です。

道理に沿って考え、行動していきたいものです。

 

昨日は、大貫妙子の初期のアルバムを聴いていました。

山下達郎らとのシュガー・ベイブを解散。

ソロとしてスタート。

なんとなくわかるような気もします。

アメリカ志向とヨーロッパ風味というパースペクティブの違いといったところですかね。

今なお新鮮に聴けて、ゆったりとした時間の流れを味わいました。

やっぱりいいですね。