思惑の錯綜は、しっかり立っていたと思っていた足元を容赦なくぐずぐずと崩していきます。

そりゃそうですね。

これまで自分一人の力で立っていたわけではないのですから。

 

指示をする立場になると、人は勘違いするのでしょう。

自分に当てはめてみても、なんだかわかる気がします。

ただ、そうならないように、気を付けてはいるものの、どこまでコントロールできているかは謎でしょうね。

 

専門家の意見を踏まえる。

それは確かに大切なこと。

でも、それを盾にして、責任の輪郭をはっきりさせないのは、どうでしょうかね。

レースのマスクをされていた方も、どうやら同じような気もします。

 

指針を示すことは、ある意味背水の陣の心構えに似ている気がします。

全責任を背負って、一丸となって相手に挑む。

 

それには求心力は必定。

人情をおざなりにしていては、どうにも思うような推進力を手に入れられない。

 

営業でも同じです。

こちら側のことばかりだと、誰も相手にさえしてくれません。

相手のニーズや困りごとに真摯に向き合ってこそ生まれる信頼関係。

数字は買うものではなく、与えてもらうもの。

 

昨日の夕方、病院に行こうと車を走らせていると、電気屋さんから突然の電話が。

連絡してなくて、すみません。

今日の5時過ぎにアップルの方と繋がることになりました。

今から家のほうに行ってもかまいませんか?

 

かねてからの座礁しっぱなしの案件。

音楽データに関するパソコンの説明です。

 

かかること1時間半。

疑問はすべて解け、ほっと胸をなでおろします。

今回の一連の失敗は、一つのことに固執するあまり、小さな不具合を見過ごしていたこと。

自分の知っていることが正しいと疑わずに事に当たったこと。

そこが大きな落とし穴となって、這い上がれずに底でぐるぐると回りながら途方に暮れていました。

 

少しでも、おかしいな、と思えば、立ち止まって振り返る勇気は必要なこと。

どんな時でもそうありたい、とコーヒーを飲みながら、彼と話していました。

 

これからも、あんじょう、頼みますよ、ほりおちゃん!

 

 

今日は予報では雨だったはず。

でも、外に出てみれば青空が広がっています。

予測不能な世の中で、気持ちだけはいつまでも変わらずにありたいものですね。

 

 

先日、電池交換してきたセイコーのダイヴァーズ。

経年のため、今ではもう修理さえしてもらえません。

25年前の夏でしたかね。

買ったのは……。

 

――

破り捨てた地図が風に飛んだ

砂塵にまかれながら

過去へと消えた

 

目の前に滲むビルの群れは

行き場のないお前の心の翳

――

柳ジョージの『明日への風』の歌詞の一部です。

亡くなってから、どれくらい経ちますかね。

でも、ずっと聴いています。

中学生の頃は、まだレイニー・ウッドと一緒でした。

あの頃は、『OH!マリアンヌ』なんて好きでしたね。

東京での一人暮らしの頃は、断然『コインランドリー・ブルース』です。

この人の魅力は、心の底に溜まった澱のような感じです。

すっきりとはしないものの、なくてはならない煙草みたいなものですかね。