今日は、どんよりとした曇り空です。

重たい空気が垂れこめています。

遅々として進まない対応への憂いそのもののような感じ。

 

いつの時代も喜怒哀楽に敏感なのは民間のアンテナ。

ぬるま湯に浸かったままだと感覚は鈍り、それこそ命取りになってしまいます。

 

吉村さんと西村さん。

肌感覚の差ですかね。

生きていくためには血液の流れを止めない、という力強い意志を感じます。

体裁や体面を優先するあまり、誰かが残した足跡をたどるような歩み方をする人たちとは明らかに違います。

 

どんなことにでも共通するのは、必ず側面を持っている、ということ。

最大公約数を見出す努力をせずに、片方だけを持ち上げていては物事は進まない気がします。

 

以前、雇用創出と銘を打って、自分たちが使うトイレやフロアーの掃除をさせていては利益は上がりません。

私の住む地域にある三セクも、十何年も微妙な赤字を引きずったままです。

 

意識における格差は埋めようにもどうにもならない深さ――マリアナ海溝くらいの深度があるように思います。

でも、どんな時でもなるようにしかならない、というのが現実。

 

韓信や張良の心持で、この危機を乗り越えていこうと思います。

 

 

60年代を一世風靡したコニー・フランシス。

大好きな歌手の一人です。

日本では1979年に発売されたレコード。

大きな波を乗り越えてのアルバムだと思います。

時代の流れはディスコ。

その中で、アレンジを利かせたリズムにコニーの鼻にかかったようなキュートな声が鮮やかに乗ります。

邦題『ボーイハント’79』。

歌声、メロディー、それに粋なアレンジ。

コニーの魅力を最大限に生かしたとても魅力的なレコードです。

今更コニー・フランシスなんて、って思う人さえ、ものともせずに呑み込んだ快作ですね。

英題は『 Who's happy now 』。

1958年の大ヒット、『 who's sorry now 』にあやかったもの。

『プリティ・ウーマン』をうまくカバーした曲は、一服の清涼剤のようなもの。

今ではパソコンに入れて、事務所でよく聴いています。

どんな時もいつの時代も、意識の隔たりを埋めるためには、思いもよらない仕掛けを要するもの。

いまだにCD化されない点においても個人的にはニクイ感じです。

粋ですね、とても。