今日は、朝から雨ですね。

煙草を吸おうと玄関先に出てみると、雲の隙間から青空が見受けられます。

昨夜からの雨は、どうやら小休止ですかね。

すずめの囀りは耳に届かないものの、明るい兆しに気持ちが弾みます。

 

記憶というものは曖昧なもので、そのもの自体が不安定な要素を持っています。

いつのもので、どのような感じだったのか、カオスの海の底で揺れています。

 

小学生の低学年の頃、薪のお風呂だったように思っていました。

薪を割る手伝いを家の脇の駐車場でやっていたような……。

 

昨年より月に一度、神社にお参りに行くことにしました。

先日、籠神社でお参りを済ませたあと、実家に立ち寄った時のこと。

母親に、『違う、違う、保育園の頃で、とても鉈なんか持てやしないよ』、と笑われました。

 

子供の頃、夕暮れ時の優しい風景。

醤油屋さんから、醤油を家にある一升瓶に移してもらって買っていた頃。

牛乳配達のおじさんが、声をかけてくれたり。

腹巻をした土方のおじさんが、ジュースをくれたり。

 

『うちは、五右衛門風呂だったっけな? 周りが鉄だった記憶がないけど……』

『周りはタイルだよ、底だけは鉄だから木の板を敷いてたけどね』

 

 

私は、休日の日の明るい時間帯に、お風呂に入るのが好きです。

窓を開け、外の景色をぼんやりと眺めます。

眼鏡をはずすため、輪郭をはっきりと掴むことはできません。

でも、なんだかとてもしあわせな空気に包まれます。

リッチなリラクゼーション・タイムですね。

 

子供の頃の記憶は、今では遠い潮騒の中。

ゆったりと浸るのには、本当にいい湯加減です。

 

 

ボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリース』、というアルバムを初めて聴いたのは高校生の頃です。

ベストアルバム『ヒッツ!』を買ってから、順に買っていきました。

メロウな声に合った洗練された音楽に、どっぷりとはまりました。

大人になってからも、カーステでよく流したものです。

自分のお気に入りのものばかり詰め込んで。

私にすれば、振り返るとそんな感じですかね。

10代の終わりから20代の後半あたり。

『what can I say~何て言えばいいんだろう』、ではじまるアルバム。

今も時々聞いています。