今日は、雨ですね。

心の不安を映し出すかのように、ねずみ色の雲が立ち込めています。

 

平穏な暮らしを脅かされた時、改めて心の有り様のようなことを考えさせられます。

 

かの親鸞聖人曰く、

善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人におや

 

私の好きな『歎異抄』での一節です。

私の家は、父方が日蓮宗、母方が臨済宗です。

親鸞という人に対し、生身の人間そのもののような親近感を覚えます。

 

人の心には善と悪が必ず存在し、その時々で占める割合を変えていきます。

そして、どちらか一方に染まることもないのです。

 

先日から巷をにぎわしている県議のマスク問題。

在庫として眠っていたものを、機とみてオークションで販売。

かたや、施設等への寄付をして感謝状を贈られる。

 

一番気になったのが、女性記者が県議に対して『転売ですね』、と繰り返していたことです。

在庫のものを販売することは、決して転売には当たりません。

もしそうなら、弊社は転売屋になってしまいます。

そういうバイアスをかけた発言には、ほとほと辟易してしまいます。

ただ、今回は時勢を踏まえての発熱を伴う感情がそうさせたのかもしれませんが……。

 

少し前の国内の自動車メーカーの騒ぎを思い出します。

一方向から見た景色で、己の正義を振りかざし、結局は会社を貶め、従業員を苦しめる結果へと導いた社長兼CEO。

 

津波による被災者のための住宅の空きが出たために、当初から低所得者の入居を推進してきた行政。

震災から9年。

役場の担当の方の発言が、重たく耳に残ります。

もはや、被災者ばかりを優遇することはできない、と。

同じ共同住宅の中で、家賃の格差があるのはどうなのか……。

喉元を過ぎれば……、なんですかね。

 

元来、被災者のための共同住宅のはず。

本当の意味で寄り添っていかないと先行きさえ濃いねずみ色の雲の中……。

 

公平と公正の間には、マリアナ海溝より深い暗闇があるような気がします。

 

今回の新型コロナウィルスによる影響は計り知れないものがあります。

私の会社で一人でも感染者が出れば、仕事自体を止めなければなりません。

お客様に迷惑をかけることは必至ですし、また、会社の収益にも影を差します。

 

一人一人が最善の注意を払って、生活に取り組むしかないですね。

政府がどこまで責任を果たしてくれるかは定かではないものの、今現時点では信じるほかありません。

不安が恐怖に代わるまでには、なんとか収束してほしいものです。

 

もう、そろそろあの世にいかれてはいかがでしょう?

いやじゃ、わしゃ、まだまだ生きたい!

そんな会話を思い浮かべながら、親鸞という人をとても人間臭く思います。

 

人間とはそういうものなのでしょう。

やっぱり、ストイックばかりでは息が詰まってしまいます。

 

 

昨日は、『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』を観ました。

一昨日に引き続き、『マリーゴールド・ホテル』です。

それぞれが、新たな生き方を模索しながら獲得していく様子が、とても興味深く考えさせられます。

人は、ひとつ成功を勝ち取ると驕りが顔を出しがちです。

なんとも心温まる映画ですよ。