今日は、朝から雨がしとしと降っています。

立春が過ぎてから降った雪も、冬の終わりを告げるかのように雨に溶けていきます。

 

近頃よく思うようになったこと。

それは、需要と供給のバランスは、とても危うい関係性の上に成り立っている、ということです。

吹けば飛ぶような、なんて言葉を聞きますが、まさにそれに尽きるのではないですかね。

 

風を受けたセイルを両腕で支え、

身体をテールへとずらしてプレーニング。

握っていたはずのブームから手が外れたとたんに、セイルは暴れ、見事にチンしてしまいます。

 

順風満帆なんて、いつまでも続かないもの。

気持ちや体力だって、消費すれば疲れてしまう。

 

気づけば使い捨ての時代。

舶来品なんて、遠い記憶にとどまったまま。

1ドルが300円台だった頃。

憧れと夢が交錯し、不確かな未来に胸を膨らませていたあの頃。

『俺の空』に感化され、『毒針巷談』に刺激を受けたっけ……。

そのうちにサリンジャーの波に呑まれ、『アメリカン・グラフィティ』の世界に心酔してしいったハイティーン。

 

魚屋さんや八百屋さんではないのだから、食べる分だけのものが冷蔵庫にあればいい。

そんなふうに思えるようになったことを、歳のせいにしては苦笑いです。

 

昨日、会社から出るときに浮かんでいた月です。

 

早くからウィルスの存在に気付いた中国の眼科医は、誉れ高い生き様を見せてくれました。

どこの国にも、足尾銅山鉱毒に正面から立ち向かった議員のような気概のある方はいらっしゃるもので、それは少し前にアフガンで命を奪われた日本の医師にも共通することのような気がします。

 

そろそろ、オープンにしたほうが楽なのではないですかね。

大きくなりすぎて、自分の足元さえ見えなくなっているような気がします。

 

1966年にはレイ・チャールズ、1978年にはエミルー・ハリスがカバーして、ともに全米NO.1という素晴らしい楽曲です。

間奏のピアノ、歌に寄り添うようなスチール・ギター。

やっぱり、エミルーのバージョンが胸にストレートに響きます。

彼女の歌声は、どんなことでも赦してくれるような優しさに満ちています。

アルバム『エリート・ホテル』より、『トゥゲザー・アゲイン』。