今日は、日の出とともに起床です。

偶然ですが、なんだかついています。

そんなことでしあわせを感じれるのは、平穏無事に暮らしてる証ですかね。

時間が経つにつれ、窓の外に青空が広がります。

今季一番の寒気とのこと。

冬の晴天は、気持ちを凛とさせてくれます。

 

どんなことでも一筋縄ではいかないもの。

意識としては、誰もそう思っているのかもしれませんが、時々自我が邪魔をしてしまいます。

自分が“いい”と思っていても、必ずしも他の人にも“いい”とは限らないもの。

何かのしがらみに引きずられるように、その場の空気の温度を変えないように、誰にも気づかれないようにそっと流していきます。

自分が求めているものが見出せない時は、気持ちを新たにして、プロミストランドに向けて新たな一歩を踏み出せばいいだけです。

 

ある意味、何冊かを世に出したあと、ひっそりと身を隠すように田舎で暮らしたサリンジャーのことが頭を過ります。

中学生の頃、佐野元春のセカンドアルバム『ハートビート』をきっかけにサリンジャーの世界を覗きました。

有名な『ライ麦畑でつかまえて』です。

はじめは興味深く文章の中に意識を沈めていましたが、半分くらいまで読み進んだあたりで意味がよくわからなくなってしまい、読むのを諦めました。

そのあとも何度か同じことの繰り返しです。

大人になって読み終えましたが、今も内容をよく覚えていません。

『バナナフィッシュにうってつけの日』。

これは、面白かったですね。

誰もが抱える心の闇を、独特な視点でペーソスとユーモアを交えて鮮やかに浮かび上がらせる感じがとても素敵です。

そのあたりから、今度はユングの心理学の本なんかを手にするようになりました。

 

どれだけ大作で、どれだけ前評判がよくても、必ず人の心に届くとは限りません。

なぜならそれは、その人のためだけに向けて制作されたものではないからです。

小説や映画、レコードやCDなんかでも同じことですね。

その中で、共感できる文章や、印象に残るシーン、素敵な曲なんかがひとつでもあれば、それはそれでしめたもの。

それだけで嬉しくなってきます。

 

“あの人は、いい人ね”

その人なりのバイアスのかかった言葉は、時として自分の意識に靄をかけます。

あなたにとっては“いい人”かもしれないけれど、私にとっても“いい人”とは限りません。

建前だけの親切な押し付けは、そろそろやめにしてほしいもの。

アメリカと中国、日本と韓国のような意地の張り合いのような感覚は、私たちの身近なところでさえ感じる時がありますね……。

 

 

――

私なら 誰の物にもなりませんからね

と、ただ一言だけ すげなく釘をさしたね

――

南佳孝の『プールサイド』、という曲の歌詞の一部です。

大人になってからですね。

歌詞に耳を傾け、情景を追ってみる。

それぞれの思いは、大きな鉢の中で、神様にぐるぐるかき混ぜられているだけなのかもしれませんね。