朝方の雨も、今ではすっかり上がっています。
玄関先で煙草を吸っていると、陽射しを喜ぶようにすずめたちが気忙しく囀っています。
同じものを目にしたり感じたりしても、その時の気分によって捉え方はまったく違うベクトルへと向かいますね。
人間とは、ほとほと身勝手なもの。
でも、その感情の起伏があるために、楽しいこともたくさんあるのも事実です。
常識の範囲内で、可能な限り自由を満喫するのは至福の時間です。
中学3年生の夏休み、だったと思います。
縁側に近い畳の上で寝そべりながらラジオを聴いていた時、耳に飛び込んできたのがジャズでした。
番組のタイトルも覚えています。
『甦れ、MJQ』、と題して端正なカルテット(ピアノ、ヴィヴラフォン、ベース、ドラムス)の演奏です。
そこからですね。
ジャズにのめり込んでいったのは。
また、初めてクラシックに興味を持ったのも同じく中学生の頃。
これは、加藤和彦のレコードの最後に『ジュ・トゥ・ヴ』、というサティの曲が収録されていたことがきっかけですね。
その曲を、坂本龍一だったか矢野顕子だったか忘れましたが、丁寧に慈しむように音を紡ぎます。
そこから、はじめは誰の曲かもわからずに、ピアノソナタのレコードを手にするようになりました。
リストあたりは今も大好きです。
クラシックの場合、ジャズとは違い、楽譜に忠実に演奏することが決まりのように思っていました。
でも、それはしばらく聞き続けるうちに、まったく違うことだと思い知らされます。
あの有名なカラヤンのレコードや少し長めの『ツィゴイネルワイゼン』あたりの小品でも、指揮者や演奏者によって収録時間の差異があることです。
ただ綺麗に演奏するのではなく、人の心に打つ演奏がそこにはありありと存在しています。
数字の1を小数点第二位まで表すと、1.00です。
その1を1.09までを1として捉えても、1としてカウントします。
仮に許容範囲というものがあるとすれば、それがハッとさせる振り幅になるのかもしれません。
予定調和なものが少しでも崩れると、微かな違和感を感じるのと同じような気がします。
Fの次のG7ですかね。
自分の心の半径を少しずつ外へ外へと向けながら、しあわせを感じる振り幅を広げていきたく思います。
加藤和彦のヨーロッパ3部作と言われる『ベル・エキセントリック』。
レスター・ヤングやビリー・ホリデイに通じる『粋』を垣間見ることのできるレコードです。
安井かずみさんの詩は、心をそっと優しく包むオブラートのようなもの。
両氏ともに他界されました。
大切な昭和の想い出です。
二人とも、私の青春を彩ってくれた大切な記憶の中で今も尚燦然と輝いてくれています。

