今朝は、久し振りに清々しい空気に包まれました。
このところのぐずついた天気とは、打って変わっての晴天です。
昨日は、バイクの錆び゙取りをしたあと、エンジンをかけ走り出すと雨に遭う、という悲惨な午前中を過ごしました。
午後からは、2社の車屋さんに出掛け、購入予定の車をそれぞれ試乗してきました。
私の住んでいる地域の周辺でも、昨日はイベントが多く開催されていました。
でも、あいにくの天気で、昨日最後の時間のイベント、『ふゆ花火』は微妙だったのかもしれません。
体感的にもかなり寒かったですしね。
11月ともなれば、『松葉がに』(ずわいがに)のシーズンに入ります。
そうなるとまた、毎年のように観光客で賑わいをみせるでしょうね。
私も、お世話になっている方々に、『せこがに』(メスのずわいがに)を贈ります。
ゆっくりと音楽を聴いていて、ふと思うことがあります。
レコードやCDは、その時の空気を真空バックにして記録したものです。
リズムの鼓動、魂の躍動を媒体を通して追体験しているようなもの。
演奏の裏側の気持ちを、そっと垣間見たいような気持にさせてくれます。
目にすることのできない思い入れや演奏からは見えてこないエピソードなんかを……。
チャーリー・パーカーの『バード』、サッチモやビリー・ホリデイが出演している『ニューオーリンズ』のように、その他にも映画や伝記は多くあります。
高校生の頃、『ボブ・ディラン詩の世界』、というものを読んだことがあります。
タイトルは間違っているかもしれませんが、今尚書棚の奥にひっそりと影を潜めています。
また、小説や歌詞なんかで、その人の過去の経験を覗き見ることもできますね。
まったくの創作というものは、反対になかなか難しいものです。
モノクロの祖父母の写真や父や母の若かった頃の写真を見ては、一緒に写り込んでいる車や景色に当時の息吹を感じては思いを馳せたりします。
先日、娘から、私の若い頃の写真を送ってほしい、と言われました。
いろんなことをしている面白い父親のように、娘の職場の人に思われているようで……。
久し振りに見る自分の姿に独り笑いです。
どんな心境だったのか、心の中までは映し出すことができない写真の味わい深さに触れた瞬間でした。
物は残るけれど、想い出は褪せていきます。
でも、そういうものですし、またそうであるほうがいいような気もします。
答えは、いつだって風の中にあるのでしょうね。
私にとっての初めてのボブ・ディランは『フリー・ホイーリン』でした。
そのあと『欲望』でエミルー・ハリスを知りました。
一つの作品から派生して新たに知ること、というのは現実の世界ではよくあることです。
ひとつひとつの縁を大切にするようになったのは、責任を自覚するようになってからのこと。
少しずつそうやって成長していきたいものです。
エミルー・ハリスの『トゥゲザー・アゲイン』。
ずいぶん前には、何かのCMにも使われていましたね。
アルバム『エリート・ホテル』から。

