早朝、外に出てみると、青空が広がっていました。

車のボンネットには、小さな雨粒がまだ朝露のように残っています。

空を見上げては、清々しい気持ちに胸を撫で下ろします。

ささくれのようなものが、すっとどこかへ流れて行ったようで、晴れやかな思いがしました。

 

 

今朝は、昨日の鯛の煮つけの写真を見せようと、歩いて料理屋のご主人の所へ。

 

お盆の墓参りに行った際に、お土産にと冷凍してある鯛を4匹もらいました。

伊根なので、魚は豊富です。

さて、それを調理しようと、昨日、その料理屋のご主人の所へと調理の仕方を教えてもらいに行きました。

その料理屋のご主人は、専門調理師の免許も持っておられ、本来なら料理教室を開けるほどです。

ただ、無頼の照れ屋であるため、行政や学校からの依頼を断ったりしています。

調理方法を聞いての帰り際、醤油をボトルごと一本頂きました。

 

で、出来たのがこれです。

我ながらうまくできたので、とりあえず写真を見せに行ってきました。

 

沸かして、浸した汁をかけながら煮込むこと約5分です。

かかった時間は、計8分ほどで完成です。

家内も、美味しいと食べてくれました。

 

私は、ごくたまに料理をするのですが、する時は決まってその料理屋のご主人の所へメモを持って行きます。

 

 

 

こないだ、荷物を送ろうと郵便局に立ち寄った際に、仲良しの美容院のオーナーに出くわしました。

私が、送り状を真剣に書いているところに、ちゃらけながらぶつかってきます。

しょうがないな、と思いつつ、ペンを止めずに世間話です。

荷物を出し終えてから、私の足を気遣いながらもプチ・ツーリングのお誘いです。

もちろん、快諾して別れました。

 

少しずつ、明るいほうへ向かっている気がします。

 

偏西風は、蛇行しながらも、決して止むことはありません。

さまざまな影響をもたらしながら、つねに立ち止まらずに先へと進みます。

 

どんな時も、気持ちはまっすぐに持っていたいもの。

そうすれば、自分の見たい景色を見ることができると思います。

 

 

中学生の頃、英語の先生と交換日記みたいなことをしていて、その中で『Love that was lost』の意味はなんでしょう?、と書いたのを覚えています。

矢沢永吉の『抱かれたい、もう一度』、という曲の英題です。

アメリカ進出一発目のアルバムに収録されているハイライト的曲です。

当時、逆輸入盤として、レコードを予約して買いました。

その春から、私は高校生でしたね、確か。

私にとっての、大人への一歩でした。