今日は、父親の実家への墓参り。

さすがに国道は車で混雑しています。

午前10時、陽射しはアスファルトを照りつけ、エアコンは苛立ちを募らせるばかり。

途中、クラクションを鳴らすものがいると尚更です。

おかしなところに駐車している車のドライバーには、冷ややかな一瞥をくれ、眉の片方が吊り上ります。

 

伊根町の町中のど真ん中に親戚の家があり、その家の前に駐車。

歩行困難証明書なるものを父親が持っているので、それをダッシュボードの上に。

 

久し振りの笑顔に歓迎され、麦茶を一杯グラスに頂いてからお墓へと向かいました。

暑い盛りに歩くのは、本当に体力を消耗するものです。

階段をひとつ上がるたびに、ため息にも似た声が小さく漏れます。

 

お客様もこの伊根町に幾つかあります。

そう思うと、ご先祖様にも守られているな、としみじみと実感が湧いてきます。

結局、いろんな方々の恩恵を知らないうちに自分は受けているのに気づきます。

自分が意識するかどうかは問題ではなく。

久し振りに会った従兄弟の娘が大きくなっていたり、自分がお兄と呼んでいた親戚のおっちゃんの頭がハゲ散らかしていたり、と……。

 

海の京都、という取り組みをしてからというもの、劇的に観光客が増えました。

飛び交う言葉は、中国系ですが……。

 

そのうち廃れていくのだと思うと、一抹の寂しさを覚えます。

地の利を生かして商売をされるのは発展するかもしれないけれど、求めるだけで還元しようとする試みがなければ幅員減少の看板を突きつけられるように思います。

 

今がよければそれでいい、という考え方では先へと続いていきません。

よりよい未来を想像して、自分の夢や目標を頭に描いたら、さぁ次は、乗り込む列車を決めるだけです。

大概は、自分の中で決めてあるものですがね。

みんな、誰かや何かが、そっと背中を押してくれるのを待っているのかもしれませんね。

 

 

この間から、伯爵ならぬ公爵のエリントンを聴いています。

伯爵のベイシーも大好きですが、さすがDUKEですね。

ソフィスティケートされた中に、粘るような煽るような演奏に一発ノックアウトです。

ジョニー・ホッジスのアルトは、どうしてあそこまで感情に訴えてくるのか、さすがと言うほかありません。

レコードは、確か当時付き合っていた彼女のパパにもらったものです。

もう、30年以上前のことです。

『ジャズを聴くのなら、これくらい聴かないと』、なんて、ちょっと自慢げに言い放ったのを覚えています。

『ザ・ポビュラー・デューク・エリントン』、1曲目は名刺代わりの『A列車で行こう』です。

次に続くのが『アイ・ガット・イット・バッド』です。

たまりませんね。